●箸が転んでもおかしかったあの頃を思い出せるメルマガ。
それが、いまむらさんの「今日のいきぬき」です。
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【1】「エイリアン」というハードル
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「我が子をかわいく思わぬ親はない。」
僕、何度も耳にした言葉です。
教員をしていた僕にとって、それは「大前提」でした。
自明の理、疑いようのない真理でした。
その前提によって、学校教育は成り立っています。
我が子を愛する親御さんから、子ども達を預かっているっていう意
識は、教員にとって不可欠なものでした。
そのことに関して異議を唱える教員を見たことがありません。
社会教育だって同じです。
だから、僕は「児童虐待」のニュースを聞くと、
「異常な親もいるものだなあ。」と嫌悪感を覚えてきました。
でも・・・。
でも、ホントにそうなのか・・?
僕は、最近そんな疑問を持ち始めています。
もしかすると、「我が子をかわいいと思う親」は、親本人の目的意
識と、そういう親になれるように支える周囲によって作られた、
そう、いわば、作品なのではないか。
言い換えれば、
「我が子をいとおしく思う親」はスタートではなく、ある種のゴール
としての姿なのではないか。
そう思うのです。
たしかに、子どもを守りたいと思う気持ちは、子育てをする多くの
動物に共通の本能として備わっているのでしょう。
でも、その本能すらもゴールに向かうための一つのアイテムに過ぎ
ないという可能性は否定できません。
それは・・。
たくさんのハードルを越えてたどり着くゴールなのかもしれない・・。
しかし、僕を含めた多くの人がスタートだと信じている。
その信仰にも近いような誤解が、ハードルをより高くしている。
だとすれば、「子どもを愛する親」への道のりは、僕が考えている
以上に遠いのかも知れません。
僕んちのかみさんが、こう話してくれたことがあります。
「あのね。言葉は悪いけれど・・。
授乳中に子どもの顔を見るでしょ。
その時さあ、どこかでエイリアンみたいに感じちゃうことも
あったのよ・・。」
きっと・・。
かみさんはたくさんのハードルを乗り越えてきたんだと思います。
そして、願わくば、僕も・・。
ではでは、また来週。