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【0】ちょっと。
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あのですね。

あるじゃないですか。分数の横線。

分母と分子の間の横線です。

あの線、なんて名前なんでしょう?

あるところで、そんな話題になりましてね。

僕、考えたんです。

うーん。
分母と分子の間の線・・・。

母と子の間に挟まれて横たわる、か細い線。

あっ。、決まりです。

父です。

で、分父線(ぶんぷせん)。

だめ?
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【1】今回の発信
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■「油断しないこと」
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部屋の蛍光灯がチカチカし始めました。

2灯セットの両方とも、です。

「換え時ねえ。えっと何ワットだったっけ?」とかみさん。

僕は、いすにのって蛍光灯のワット数表示に目を凝らしました。

「うーん、32と40だってさ。今日買ってくるよ。」

こう言って、僕はふと思い出した言葉があります。

「油断しないこと」・・。

これが僕が思いだした言葉です。

それは僕が小学2年生の時ことでした。

かなり時がたってしまったので細部までは覚えていませんが・・。
僕の大好きだった先生とのやりとり、そして表情はしっかり覚えて
います。

算数のテストがあったのです。

こんな感じの問題でした。

「30このだんごがあります。
 8こ食べました。あとなんこ、のこっていますか?」

僕は「しき:30−8=22 こたえ:22」と書いたのです。

何日かしてテストが返ってきました。

「しき:30−8=22」には丸がついてきました。

けれど、「こたえ:22」にはバツがついてきたのです。

そして、先生の朱書きがありました。
「さいごまで、ゆだんしないこと」と。

僕は「ははあ、最後までか・・。」と思い、やり直しました。

「こたえ:22です。」と「です。」を付け加えて書いたのです。

先生は、にこにこしながら言いました。

「なるほど、こう考えたのか・・。
 おしいなあ、意味が違うんよ。
 正解は『22個』やのん。
 君のには『22』だけで、『個』が書いてないんや。
 やから、22人かもしれんし、22匹かもしれんよ。
 これからは、油断しないように、気をつけるんやね。」

要するに単位が書かれていないということなのです。

それで、「油断するな。」なのです。

「何ワット?」と聞かれて、
「32と40」と数字だけで答えられる日常。

「僕も、もう41やからなあ。いい年のおっさんやなあ。」
 と言って会話のできる日常。

「何個ですか」と問われて、
「22です。」と数字だけで答えれば、
「22人かもしれないよ。」と言われてしまう学校。

また、そう言わなければならなかった先生。

「油断しないこと。」という言葉は学校教育の本質の一端を見せて
くれるような気もします。

何て言ったらいいのかなあ・・・。

そう・・・「油断もすきもある関係」って言ったらぴったりです。

そんな関係が学校の中に充満したらいいのになって思います。

「油断やすき」があふれる学校・・・。

そういうことの積み重ねが、安全な学校への小さな一歩じゃないか
なあ・・。

そう思います。

油断したいなあ・・・。

ではでは。



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