もしかすると何かを冒涜することになるのかなと思ったからです。
その「何か」の中に彼女が入ることは、絶対に避けたかった。
だから、ためらいました。
でも、今日。
そうじゃないと思えました。
発信をためらったことこそ、冒涜だと考えたのです。
だから、こうして発信します。
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【1】今回の発信
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「不可解を怖れる虚像」
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子どもによる殺傷事件が続きました。
そして、加害児に対する精神鑑定があたりまえのように行われてい
ます。
僕は思います。
僕らは殺人という行為に対する怖ろしさよりも、もっと深い恐怖を
別のものに持っている。
たぶん持っている。
「わからない」ってことを、とても怖れているんだと思うんです。
同じ殺人事件でも、暴力団員の犯したものよりも子どもの犯したも
のの方に、何とも異様な怖さを覚えてしまう。
理由のわからないことに対する大きな恐怖。
それを払拭するために、なんとか理由を探る。
人類が社会生活を営み始めてから、それは、ずっと続いてきたこと
かもしれません。
中世までは、怨念や悪魔の仕業という理由をつけ、火あぶりにさえ
してきました。
現代では、さすがに魔女狩りに通じるような宗教裁判はなくなりま
した。
でも、「不可解に対する理由」は、やはり必要とされています。
だからなのかもしれない、と思うのです。
・・・。
僕は大きな疑念を持っています。
子どもを精神鑑定するという行為は、もしかすると、現代における
宗教裁判なのではないか・・・。って。
僕は「精神の病」というものを否定しているのではありません。
魔女や悪魔が、まったく理由にならない理由であったように、
「殺人を犯しても不思議ではない精神の病」というものも存在しな
いかもしれないと疑っているのです。
・・・。
僕には「パラノイヤ」と診断された知人がいます。
彼女は、日常にまったく別の世界を持っています。
いわゆる幻覚症状が30才頃から出てきたのです。
そして、幻覚と現実は実に混沌としているようです。
電話がかかり、僕が出ると、こう言いました。
「そこにいるあなたが、ここに来ているのはなぜ?」と。
僕にとって初めての体験であり、正直に振り返れば、それは哀しさ
よりも恐怖でした。
それから、10年以上、彼女と接してきました。
そして、わかったことがあるのです。
彼女は幻覚の中でも、彼女そのものなのです。
夢の中の僕が僕自身であるように、です。
僕には、たった一つの経験からしか語ることはできません。
しかし、その貴重な経験から疑います。
「殺人を犯してもおかしくない精神の病」は、不可解を怖れるあま
りに作られた虚像なのではないかって。
ご意見、いただけたら幸いです。
ではでは。