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「めんちゃんの鶏と卵(2)」
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「鶏と卵、どちらが最初だと思う?」
という僕の質問にめんちゃん(当時小1)は少しだけ考えました。
そして言ったのです。
「わかった!!簡単や!!神様が最初に作ったのは、、。」

僕は答えを聞いてびっくりしました。
小1の子がこんな答えを出せるのか、と思ったのです。
僕にとってその答えは実に素敵でした。
それは、どんな哲学者も科学者もかなわない、そう思わせるも
のでした。

めんちゃんはこう言ったのです。
「最初に作ったのは絶対にニワトリや。」

「ふうん、なんで、そんなふうに思うん?」

「ニワトリがおらんやったら、卵からかえったヒヨコのお世話はだ
 れがするん?」

「えっ。」

「そうやん。エサをあげたり、羽をそろえたり、ワシから守ったり、
 だれがするん?」

「あっ、本当や。」

「そうやろ。もし卵が最初やったらヒヨコがニワトリになる前に死
 んでしまうやん。」

「すごい!」

「だから、なんでもいっしょや、親がぜーんぶ最初や。」

めんちゃんの「親がぜーんぶ最初や。」のこの言葉。
僕の頭の中にしっかりと刷り込まれました。

そして、めんちゃんの親に対するほんのりとした思いがわかりまし
た。

僕たち保護者はいろんな場面で子どもに期待してしまいます。
期待することの善し悪しは別にして、また意識的か無意識かも別に
して、何らかの期待を、少なくとも僕はしていると思うんです。

しかし・・・。
しかし、その前に保護者は子どもから期待されているのです。

生まれたときから・・・、いや生まれる前から、子どもは保護者に
大きな期待を持っているのでしょう。

そのことを忘れてはいけない、それを、めんちゃんから再認識させ
られました。
期待する前に、期待されているんだという、事実。

「親がぜーんぶ最初や。」と言っためんちゃん。

彼女もいつか親になるかもしれません。

もしできるものならば彼女の育てたヒヨコを見てみたいなあ、僕は
そう思いました。
こうして僕の中で「鶏卵の問い」は終止符をうったのです。

(了)



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