つい先日から、メールを送っていただいています。「体罰」を拝見してお便りしまし
た。
私の身近なところにも、「体罰容認派」の人がいます。その人に言わせると、「殴り
たくて殴るわけではないが、愛の鞭だ。自分に感謝している生徒もいる」のだそうで
す。
「愛の鞭」とはいえ、鞭というのはたたいて自分の言うことをきかすためのもので
す。どんな場合にも、人を殴るということは、結局は力でねじ伏せようとすることだ
と私は思います。叩く、怒鳴りつけるという強烈な行為に、あなたのためを思ってい
るんだ、私はあなたが大事なんだという愛情は、どれほど見えるものなのでしょうか
(それとも、そんなものは必要ないのでしょうか?)。相手に未熟さがあればなおさ
ら、まず生徒を許すことが大切であって、殴っても(殴られても)相手を信頼し慕い
つづけるまでの関係を築くには、それなりの時間と努力が必要だと思うのです。そし
てそのための期間や労力は、生徒の個性によって大きく異なってくるはずです。指導
する立場にあるからといって、自分は生徒を叩くことができるのだという考えから出
発するのは、とても危険なことだと思います。
「体罰容認派」の人とは、この間とうとう言い合いになりました。口喧嘩は平行線を
たどりました…。難しい問題です。
バックナンバーから失礼しました。これからも楽しみにしていますので、いろいろな
ことを聞かせてください。
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