しょうもない3年間」-2000/2/4-

「ガラスが割れました。」って子どもが言ってきたら、どう反応しますか?

僕が教員時代のことです。
4年目の教員生活に突入した頃でした。
50歳代の先輩の先生が同じ職場にいたんです。

職員室で僕を手まねきして呼ぶんです。
「あんたなあ、今度4年目らしいなあ。」
「はい、そうです。」
「わしの経験からして一番、子どもが見えなくなる頃なんよな。」
「、、、。」
「先生、先生、言われて、わかったような気になる頃なんよな。」
なんとなく、いやな言い方だなあ、と僕は思いました。
確かに、少しずつ教員としての自信みたいなものが出てきていた頃です。
図星かなって感じもしたんですが、もっと別の言い方があるんじゃないかなあなんて思いました。

「あんたなあ、子どもが『ガラスが割れました。』言うてきたら、どう反応する?」
「えっ。」不意をつかれた僕は言葉につまりました。
少し考えて、「いろんな場合に応じて対処が変わると思います。」と答えました。
「そりゃ、間違いや。最初の反応は変わらんはずや。3年間何しとったんや。」

こりゃ、ますます、嫌な雰囲気だなと思いつつも答えました。
「まず、最初ですか、、。『どこのガラスが割れたんだ?』って聞くと思います。」
「ふーん、やっぱり、しょうもない3年間を送ってきとるわ。」
僕はがーんときました。

「そやけど、あんたより、しょうもない先生をわしは何人も見たで。」
「えっ、どんな先生ですか?」
「そいつらは、こう言うたんや。
『割れたんじゃないだろ、自然にガラスが割れるもんか。お前が割ったんだろ。』ってな。」
「あっ、僕も似たようなこと言ったことがあります。」
「じゃあ、あんたも最低やな。」
「、、、。」またがーんときました。

「せっかく、自分から言ってきた子どもやろ、言い回し一つの問題で注意されちゃ、かなわんわ。」
「あっ、わかりました。『よく言ってきたな。』ってほめるんですね。」
「あんた、本当に3年間何しとったん?」
「、、、。」
「本当に子どもを親御さんからあずかっとると自覚した教員なら、そんなことは言わんぞ。」
「、、、。」
「わしが親なら、あんたには安心して子どもをあずけれらんわ。」
「はあ、、。」
「最初の言葉はきまってるぞ。『けが人はないか?』これや。」
「あっ。」
「いつも、いろんな場合を考えて、その答えを自分なりに用意しとくんや。
 その答えのもとになるのは、親御さんから預かってるちゅうことや。
 わしの話はあんたのしょうもない3年間より貴重やったな。は、は、は」
先輩は水戸黄門みたいな笑いを冗談めかしてしました。
その言葉が完全に正しいとは誰にも言えないでしょう。
しかし、少なくとも僕の変な自信を正してくれる言葉でした。
「ありがとうございました。」
本気で僕はそう思いました。

その日から退職までの間、僕のクラスではなぜか1枚もガラスが割れませんでした。
だから「けが人はないか?」と言う機会はありませんでした。
けれど、いつも心に用意していた言葉でした。
今の職員室にも「しょうもない3年間やなあ。」と言ってくれる先輩がいるのでしょうか。



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