ごめんなさいね、意地悪なこといって。
でも、担任として何かしてあげなければという義務感からだったらむしろそっと見
守ってあげた方がいいのではと・・・
担任の先生とのご縁で不登校から立ち直る(という表現が正しい???)子供もいる
と思いますが、ケースバイケースだと思います。
こういう症状をもつ子供の場合は、心理学の専門家と親御さんに任せて、中途半端な
接触はさけたがいいと思います。その子供だけにたくさんの時間を割くことできない
でしょう。
何もしないでほったらかしでいいの?という職員室の目があるのかな?
・・・私のささやかな職員室体験では決して先生方というのは暖かい優しい方々ばか
りではない・・・
・・・結構、いや、すごくプライドが高くて、自分は絶対に正しいと思っていて、
平気で同僚、生徒、親を辛辣に批判できたりして・・・
・・・露骨に同僚の先生を批判して、これって職員室内でのいじめ???なんてこと
も・・・
そりゃ、先生だって人間だもの、誰だって決して完璧ではないはずです。
お互いにささえあって、補い合って生徒と親と先生方とともに育っていくのが人間と
いうものでしょうに
親は良く子育て=自分育てと言われますが、先生だって、同じだと私は思う・・・
でも、先生の世界は難しいなあ・・・
先生を目の前にしてごめんなさい。
個人的には生徒と親と先生方とともに育っていく徒考えてくださる先生はいらっしゃ
ると思うのです。
でも、そうでない、平気で辛辣な批評ができる先生の空気が職員室を支配してしまう
・・・
・・・子供たちの教室と同じか・・・
その子の不登校は九州の日曜日先生のせいじゃないんだから、もっと以前からなのだ
から、
責任を感じることはないのですから。
そういう子供の場合は誰も責任を感じる必要はないのですよ。
ただ、不用意に接しても、ひょっとしたら、家族やカウンセリングの先生方の努力の
足を引っ張ることもあるかもしれないし・・・
独断で、よかれと思って動くより、親御さんにその子のために担任として何ができる
か聞いてみたらいいと思います。
ひょっとしたら、何もしないで見守って欲しいと言われるかもしれないし(それこ
そ、家庭教育独立しているのかも)
、こういう風に接してくださいといってもらえるかもしれないです。
本当は不登校が始まる前に、○○ちゃんは、××症という個性を持っている。
こういう場合はこういう風に、こういうときはこういう風に接してあげたほうがいい
と
たとえば車椅子の子供が同じクラスにいたとして、みんなで困ったときは助けてあげ
るように
接し方をみんなで勉強して、みんなで実行して行けたらみんなにとってとっても良い
体験になるのですが・・・
目に見える身体的な生涯の場合はわかりやすいですが、心理的な障害の場合は難しい
だろうなあ・・・
学校、先生方、子供たち、保護者、みんなで受け入れられたら理想的ですけれど・・
・・・・・・・
こんなこと言ってよかったのでしょうか?
でも、私が半年過ごした職員室はこうでした・・・残念だったのです、とっても。
人間は自分も不完全だと知らなければいけないと思います。
家庭においても学校においても社会においても
人間は完全である必要は一つもないのです。
自分が不完全だと知れば、失敗もするし許されなければ生きていけない人間であるこ
とがわかれば
他の人も許せるようになるし、本当の優しさも生まれるでしょう。
今日の私は何をいいたかったのでしょう???
職員室の矛盾、大人社会の矛盾??????