今日は、僕の母の誕生日なのです。
亡くなってから10年、もし生きていれば72才になります。
死因はガンでした。
病院嫌いだった母は、ガンが脳に転移し、大きな腫瘍になるまで気
づかなかったのです。
治療の過程で、母は手術を受けることになりました。
頭を開き、腫瘍を摘出する、仮死状態をも通過する、とても危険な
ものでした。
結果的に、手術自体は成功しました。
まあ、最終的にはすべてのガンを取り除けたわけではなく、亡くなっ
てしまったのですが、手術のお陰で、一時的にかなり回復できたの
です。
僕は、麻酔がとけ、集中治療室にいる母と1分だけ話をする時間を
与えられました。
「おふくろ、がんばったね。手術成功だよ。」
「・・・そうか、ホントに心配かけたね。ありがとう。」
つらそうな、というか、ぼんやりとした目の母は、ゆったりとした
反応でした。
「疲れているだろう?もう休んだ方がいいよ。」
「・・・ああ、そうするよ。ただ一つ教えたいことがある。」
「今じゃなくて、明日でいいよ。」
「・・・いや、今、話す。手術中のことは何も覚えてないし、手術
したってこと自体がウソのような感じだけど・・。その間にわかっ
たことがあるぞ。
それは『死』は恐ろしいものではないということ・・・。」
「えっ?」
「ああ。『死ぬ』ということは少しも怖い事じゃないということが
わかった。・・・少しも怖くないぞ。」
この時、看護婦さんが部屋に入ってきて
「あまり話すと患者さんが疲れますから、この辺で。」と言い、僕
は退室しました。
僕は、何というか、爪の先ほども予想しなかった言葉を聞いたので
す。
「死ぬことは怖くない。」・・・。
その後、母が逝くまで、1年に少し足りない時間がありました。
その間、僕の心の片隅にはあの「死」についての母の言葉がありま
した。
しかし、僕は話の続きを聞こうとは思いませんでした。
現実にすぐそこに迫り来る「母の死」を連想させるような話題がい
やだったのです。
母も、なぜかその話を切り出しませんでした。
母が亡くなった今、母の言葉の裏側にある思いは何だったのか、まっ
たくわかりません。
仮死状態という、実際の死のほんの1歩手前で母は何を感じたのか。
意識のない状態で味わったもの、我が子にすぐに伝えたかったもの
は何だったのか。
その答えを得ずに10年がたち、僕は40才をこえました。
当然の事ながら、僕もいつか死にます。
その日がいつ来るのかはわかりません。
しかし、その時になって、僕はようやく母の答えを知ることになり
ます。
その日まで開けることの出来ない玉手箱・・・。
そう、僕は玉手箱を持って生きているような感じがするのです。
そして、玉手箱を持っているというだけで、恐怖一色だった僕の
「死」に対する思いが少し変わったのも事実です。
僕は、今日、僕の子ども達に「おばあちゃんの玉手箱」の話をしま
す。
2002年12月29日