覚えてること自体が不思議なほど、つまんないこと・・。
なのに、いやに鮮明な記憶。
僕には、そのひとつに「ハヤシライス」があります。
小学5年生の僕は、今は亡き母に聞いたことがあるんです。
「お母ちゃん、カレー粉から作ったからカレーライスやろ。
じゃあ、ハヤシライスはハヤシ粉からできてるん?」
母はしばらく考えて、
「いや、ハヤシ粉というのは聞いたことがない。そんな難しいこと
は学校で先生に聞くといい。そのために学校があるんだから。」
いかに小学生とはいえ、「そのために学校がある」とは思えません
でしたが、とにかく学校の先生に聞きました。
「センセ!何で、ハヤシライスはハヤシライスって言うんですか!」
「ほう、そりゃ、おもしろい質問や。でも、センセはアメリカ人で
はないから、そんな事はしらんなあ。そや、給食のおばさんに聞
いてみなさい。」
この先生の発言の背景は、少し説明がいるでしょう。
当時(昭和40年代)は、学校の先生と言えども「外国=アメリカ」
という認識があったようです。
もう一つ。
学校には給食室というものがあり、そこで、調理員さんが、ばかでっ
かいナベで給食を作ってくれていたのです。で、僕らは調理員さんの
ことを「給食のおばちゃん」と呼んでいました。
「アメリカ人じゃないから知らない」と言ったくせに、どこから見ても
アメリカ人とは思えない給食のおばちゃんに聞きなさいと言ったセン
セに対して、少しの不信感を持ちながらも、そのアドバイスに従いま
した。
でも・・・・。
「ははは。そんなことはおばちゃん達も知らないねえ。お母さんに
でも聞いてみなさいよ。はははは。」
おばちゃんは幼い僕の疑問なんて豪快に笑い飛ばしてしまいました。
その晩、母に、先生やおばちゃんのことを話しました。
母は、まじめな顔で言いました。
「そうか、先生もおばちゃんもだめか。
私も、今日1日考えたけれど、よくわからなかったなあ。」
僕には母の「今日1日考えた」という言葉が意外でした。
言葉には しなかったものの、
「えっ、お母ちゃんも考えてくれてたのか。」って驚きです。
意外であると同時に、なんとも うれしかった・・。
今思えば、その時の感情がこの記憶の原動力なのかもしれません。
結局、僕は、僕なりの考えを母に話しました。
「お母ちゃん、僕も考えたんやけど・・。
たぶん発明した人が林さんなんだと思うよ。きっとそう思う。
で、ハヤシライスなんや。
もし、山田さんやったらヤマダライスだったんや。
ハヤシライスは日本人の林さんの発明や。
なっ、そう思わんかい?」
そこからの記憶はきわめて、あいまいです。
母は何と言ったのか、覚えていません。
おじさんになった僕は、今、思います・・・。
子どもの頃の1日って長いじゃないですか。
とてつもなく長い。
僕だけに限らず、その頃の子どもは、長〜い1日をたっぷり、
たとえばハヤシライスに使えた・・。
子どもの特権・・。
そう、ハヤシの1番長い日は子どもの特権の1日だったのです。
(了)
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(あとがき)
結局、「ハヤシライス」の「ハヤシ」の語源が
「林さん」の「林」ではなく、
「ハッシュ(こまぎれにするの意)」だと知ったのは43才の春の
ことでした。