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           Daily教育コラム第3部
      【発行責任者 はいつ でこ】
 http://village.infoweb.ne.jp/~fwkh8072/deko/gohan/
    バックナンバーも上記にあります。
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▲目次
【1】本日の発信(No.14) -2003/04/02-(通算297号)
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■お知らせ(メールいただきました)    
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■「しょうこ」さんからNO.8の「まきちゃんの8分音符」について
 感想を頂きました。ありがとうございました。
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はいつさん、こんにちは。
私には小学生と幼稚園の子がいます。
めろんぱんで「♪」を購読しています。
そして、その関係で「まきちゃんの8分音符」を目にしました。
本当に感動しました。
メルマガを読んで涙が出たのは初めてです。
私の子ども達も、このようにつながっていく幸せに気がつけたら
いいなって思いました。
これからも、がんばって下さい。
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【1】もう一度「校長先生と校長(その2)」    
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子ども達は校長を「校長先生」と呼びます。
ほとんどの保護者も「校長先生」と呼びます。
教員だって多くの場合「校長先生」と呼びます。

その背景には、校長が今まで経験してきた「先生」時代があるから
だと思います。
教壇に立ち、子どもと語り、保護者と接し、教員仲間と討論した時
代があったのです。
まさに、その意味でこれまでの校長は「校長先生」だったのです。

その時代がない校長は「校長」であっても「校長先生」ではないと
思うのです。
子どもと直に接する学校という「現場」において必要なのは
「校長先生」です。
僕はそう確信しています。

プロ野球の監督さんを見てください。
どの監督さんも選手時代の苦しさ・喜びを知っていますよね。
知っているからこそ、部下である選手の適正がよくわかるのでしょ
う。
悩んでいる選手にいいアドバイスが送れるのでしょう。

この選手は積極的だから3塁手に、この選手は頭脳的だから2塁手
に・・。
そんなふうに適材適所も可能だと思うのです。
現場での指導者・管理者には、現場での経験が大きな力となるはず
です。
もちろん現場にいない球団社長やオーナーには現場経験は不必要な
のでしょう。
しかし、選手経験のない監督が存在しますか?

その意味で、現場にいない教育委員長や教育長は教職経験無しでも
できるでしょう。
しかし、現場は違います。
子どもの歓声・泣き声・汗、教職員の苦悩・喜び・・。
それらが毎日生まれるのが教育現場なのです。

自身の経験をふまえ、子どもを考え、先生の適正を見抜く。

「我が校の2年生はこんな特色がある、
 ならば、あの先生に担任してもらおう。」

そんな判断をスムーズに下せるのは「校長先生」であるはずです。
部下の教員からみても、頼りになるのは「校長先生の経験」でしょ
う。

民間の力や知恵を借りるということは学校教育において大きな力と
なるはずです。
しかし、そのことと民間人を校長にするということとは次元が違う
と思います。

ただ、現在の学校教育がうまく機能していないからこそ、こんな方
法が出てきたのも事実でしょう。

僕は今の校長は力を発揮できにくい状況にあると思います。
極端に言えば、日本には「校長はいない」状況だと思うのです。
もっと、教育委員会や文部省に対して発言できる力を校長に与える
べきだと思います。
そして、一国一城の主としての「校長」としてがんばってもらいた
いのです。

責任と力を持った「校長」、そして現場を知る「先生」としての経
験。
この2つが合わさった時、「校長先生」が生まれるのだと信じてい
ます。

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振り返って・・・。

民間出身の校長さんの自殺・・・。
今回の悲しい事件を、個人レベルの問題にしてはいけないと僕は思
います。
行政は、何を期待して民間の校長さんを導入しようとしたのか・・?
「民間」「民営」・・・。
これらの言葉に、あまりにも安易に飛びついただけのことではなかっ
たのか・・。
その「安易さ」と、
「民間から校長になろうと一念発起した純粋な心」とは、相容れな
い摩擦を生む土壌があったのではないか・・。
そう思います。

(了)



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