僕んちの近くには水路があり、メダカの姿を見ることが出来ます。
もっとも、1年中、いつでもというわけではありません。
田んぼに川から水を引き込む、その時期だけ水路が水で満たされ、
そこにメダカがやってくるのです。
考えれば、その時の水路は、川の水のいちばん
「端っこ(はしっこ)」になるわけですね。
ところで、ご存じでしょうか?
地球上の水の97%は海水なのだそうです。
つまり、淡水はたったの3%にしかすぎないのですね。
川や湖、池を合わせても、たったの3%。
そのわずか3%の、そのまた端っこの端っこにメダカはやってくる
のです。
生き生きと泳ぐ水路のメダカを見て、僕は、はたと思いました。
もしかすると・・・。
いや、きっと・・・。
およそ、人間の犯す罪というものは「真ん中」意識から生まれるの
ではないか。
「真ん中」に生きていたい、「真ん中」を歩きたい・・・。
そんな「真ん中」意識。
僕が感じる嫉妬心や虚栄心、そして、希望や安心感すらも「真ん中」
意識に起因するのではないか。
僕は、このメダカのように、端っこの端っこを生き生きと躍動感を
持って泳げるのか。
いや、すでにその躍動感という感覚そのものが「真ん中」意識では
ないのか。
ちょっとした「いじわる」や弁解のウソも、そして個人レベルを超
えた殺戮(さつりく)を伴う戦争も、大小の違いはあれ、「真ん中」
への執着が生んでいるのではないか。
小さな小さなメダカだからこそ、端っこに生きることができる。
そして、僕は幸いにも自分の小ささを知る感覚だけは持っています。
「端っこの端っこ」に生きること・・。
それは大きな特権であり、深い恵みなのだと、僕は思いました。
♪誰が生徒か先生か。
皆でお遊戯しているよ。♪
(了)