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   ■■■■■■  「ごはんのおかず」 ■■■■■■
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           Daily教育コラム第3部
      【発行責任者 はいつ でこ】
 http://village.infoweb.ne.jp/~fwkh8072/deko/gohan/
    バックナンバーも上記にあります。
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■お知らせ(川柳について)    
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■僕は、現代教育新聞社さんで「教育川柳コーナー」をさせてもらっ
 てます。今回のお題は「黄金週間」です。
 作品できましたらペンネームと年齢お書きの上、下記までお願い
  します。また、これまでの作品にご感想などお寄せ下さい。
 作品は僕のHPからご覧頂けます。
 
  mailto:haitsudeko@yahoo.co.jp

●参考作品
 「 おとうさん 連休終わって いきいきと 」<とよさん(38)>
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【1】「死刑」
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「おとうちゃん、死刑ってホントに殺すのん?」
そう聞いてきたのは小学2年生の娘でした。

娘は波が次の波を誘うように、どんどん質問を継いできました。
いわく・・。
「なぜ殺すの?」
「どうやって、殺すの?」
「じゃあ人を殺さなきゃいけない仕事があるの?」

僕もかみさんも とまどってしまいました。

それは、答えに困ったからというよりも、いや、もちろん答えにも
困ったのですが、それよりも、8才の子が使う「殺す」という言葉
に、なんとも言えぬ大人としての「後ろめたさ」を感じたからでし
た。

「後ろめたさ」・・。
この感覚は自分でも意外でした。

「死刑」という言葉の中に「殺す」という行為を、それまでの僕は
意識していなかったのです。
「死刑」と「殺す」が結びついていなかったのです。
そのことに対する「後ろめたさ」だったと思います。
 

それを、初めて意識し、結んだのです。

僕は裁判官を職業としているわけではありません。
だから、僕が直接に「死刑」を決定することはありません。

けれど、「死刑」が制度として存在し、自分が主権者であることを
強く意識すれば、僕が犯人を「殺す」指示を出していることに他な
らないのです。

世の中の多くの人がそうであるように、僕には家族、親戚が殺害さ
れたという経験がありません。
だから、その被害者の家族の悲しさが生み出す動揺や怒りを、とう
てい理解できるはずがありません。

その僕が、「死刑」に疑問を投げかけるのは、とてもたやすく、し
かも無責任なことだと思います。

けれども、その、無責任さを感じながらも、僕は子どもに感じた
「後ろめたさ」を解決せずにはおられませんでした。

もし、僕がその被害者の立場に立ったなら・・・。
傲慢さを知りながらも、そう考えました。

僕は、その犯人を憎むでしょう。
心の底から憎いと思うでしょう、殺したいくらいに憎いと思うでし
ょう。
死刑にしてもらいたいほど憎いと思うでしょう。

でも、それはあくまで、殺したいほどに「憎い」のです。
死刑にしてもらいたいほどに「憎い」のです。

実際に「殺す」ことを望んでいるのではないのです。

だから、僕には、あくまでも無責任な立場の今の僕にとっては、
「死刑」は必要ないように思えるのです。
そう思いたいだけなのかも知れませんが・・・。
何度も言うように、その考え方自体が、きわめて無責任であると自
覚をしています。

でも、実際に極刑として存在する「死刑」について、自分なりの考
えを持たないことは、もっと無責任だとも言えます。

僕は娘に聞きました。

「もしだよ。もし、お父ちゃんが殺されたら・・。
 ちびは、犯人を死刑にしてほしいかい?」

娘はこう言いました。

「お父ちゃんが、殺されたりしたらイヤだよ。
 でも、誰かを殺すのはもっとイヤ。」

それからも、時々、報道で「死刑」判決を目にします。
そのたびに、僕は、この時の娘の言葉を思い出します。

(了)
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もし、よろしければ、みなさんも「死刑」についてご意見下さい。
お待ちしています。
 



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