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【1】今回の発信
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前回発信した「太陽と北風のもうひとつの話」の【想い編】です。
まだ、本編を読まれていないない方は【2】に掲載していますので、
ぜひ、そちらもご覧下さい。
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イソップの「北風と太陽」。

幼い頃の僕は、違和感を覚えていました。

「このお話し、なんとなく、嫌いやなあ。」

そう思っていたんです。

少し成長すると、大人達は教えてくれました。

「北風」は他人に厳しく接する象徴で、「太陽」はあたたかく接す
 る象徴だと。
そして、結局は太陽が勝つのだと。

人には優しく接しなさい。
 

僕は、違うと思いました。

本当にイソップは、「太陽の勝ち」だと言いたかったのだろうか。

勝手にケンカをした「北風」と「太陽」。

お遊びのようなケンカの実験台にされた旅人。

勝った勝ったと喜ぶ太陽にしても、たまたま、マントを脱がせると
いうゴールだったから勝ったようにみえるだけじゃないか。

もし、マントを着せるというゴールなら北風が勝っていた。

「北風」と「太陽」は本質的になんら変わらぬ「力」の象徴なので
はないか。

イソップは・・・。
勝ち負けの持つ潜在的な無意味さも含めて、旅人の哀しさを伝えたか
ったのではないか。

僕はそう思ったのです。

「北風」と「太陽」という大きな力の争いに巻き込まれ、なすすべ
のない旅人。

見渡せば、僕のまわりの世界は、そういう構図になっている気がし
ます。

政治・思想という大きな分野だけでなく、子ども達の小さな仲間集
団まで。

どんな社会にもマントを抱えた旅人がいそうです。

もちろん、僕もそのひとりです。

そして。

僕は、「北風」と「太陽」でもあります。

自分に内在する、葛藤さえも隠す矛盾の構図。

もしかすると。

「はずかしさ」という外から内に向かう感情、幼い頃から持ち得た
ごく簡単な感情だけがこの構図を変える可能性をもっているのでは
ないか。

そういうことを想いながら描いたお話です。

ありがとうございました。

次回も、おつき合い頂けたら 幸せです。

ではでは。
 



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