「何億年もの僕」によせて
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どうにも情けない気持ちになるんです。
鏡に映った自分を見るたびに。
僕が生きているってこと、そのものに。です。
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宇宙が生まれ、地球が生まれ、命が生まれる。
僕の命は、気が遠くなるような太古からつながってきました。
それは、疑う余地のないことです。
ということは・・。
僕の先祖達は、もし進化説を信じるのなら単細胞生物の時代も含め、
幾多の困難を乗り越えてきたはずです。
氷河期などの想像を絶する地球環境の激変。
隕石の衝突。
嵐、地震、噴火・・。
天敵となる他の肉食動物。
そして、お互いを殺戮し合う戦争。内乱。
そんな、数え切れないほどの脅威の中を生き残ってきたのです。
「奇跡」という言葉が浮かびます。
僕の遺伝子は、そういう奇跡的な幸運と、生き抜くにあたっての
たくましさを蓄積してきたはずです。
そして、今・・。
この瞬間においては・・。
僕という生命が、何十億年の集大成に他ならない。
これも、間違いのないこと・・。
えっ。
集大成?
僕が?
この僕が?
ホントに?
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鏡に映った自分。
そのどうしようもない弱さ。もろさ。
情けなさ。
それは、生命の連続、そして歴史という奇跡に対して、ある種の後
ろめたさを引き起こします。
もっと言うなら怖れ。
そう、怖れなのかも知れません。
でも・・・。
でも、僕は、それを許せるのです。
その情けなさを自覚しながらも、許せる・・。
気がつけば・・。
僕は、僕の内側に、自身をジャッジする自分を創れたのです。
それも、ストイックという言葉から遙かに遠いジャッジメント。
鏡の前の自分に罪悪感を感じながら・・。
それでも、くり返す、「いいよね。」という言葉。
「いいよね・・。」
これかも知れない・・。
僕につながる命が、築き上げてきたもの。
それは、この言葉なのかも知れない。
そう思います。