「何億年もの僕」によせて    
--------------------------------------


どうにも情けない気持ちになるんです。

鏡に映った自分を見るたびに。

僕が生きているってこと、そのものに。です。

****************

宇宙が生まれ、地球が生まれ、命が生まれる。

僕の命は、気が遠くなるような太古からつながってきました。

それは、疑う余地のないことです。

ということは・・。

僕の先祖達は、もし進化説を信じるのなら単細胞生物の時代も含め、
幾多の困難を乗り越えてきたはずです。

氷河期などの想像を絶する地球環境の激変。
隕石の衝突。
嵐、地震、噴火・・。
天敵となる他の肉食動物。

そして、お互いを殺戮し合う戦争。内乱。

そんな、数え切れないほどの脅威の中を生き残ってきたのです。

「奇跡」という言葉が浮かびます。

僕の遺伝子は、そういう奇跡的な幸運と、生き抜くにあたっての
たくましさを蓄積してきたはずです。

そして、今・・。

この瞬間においては・・。

僕という生命が、何十億年の集大成に他ならない。

これも、間違いのないこと・・。

えっ。
集大成?
僕が?
この僕が?
ホントに?

*************

鏡に映った自分。
そのどうしようもない弱さ。もろさ。
情けなさ。

それは、生命の連続、そして歴史という奇跡に対して、ある種の後
ろめたさを引き起こします。

もっと言うなら怖れ。
そう、怖れなのかも知れません。

でも・・・。

でも、僕は、それを許せるのです。
その情けなさを自覚しながらも、許せる・・。

気がつけば・・。
僕は、僕の内側に、自身をジャッジする自分を創れたのです。
それも、ストイックという言葉から遙かに遠いジャッジメント。

鏡の前の自分に罪悪感を感じながら・・。
それでも、くり返す、「いいよね。」という言葉。

「いいよね・・。」
これかも知れない・・。

僕につながる命が、築き上げてきたもの。
それは、この言葉なのかも知れない。

そう思います。




目次へ