はいつさんの「コラム」もさることながら、みなさんの「ご意見録」
も楽しみにしています。いろいろの年齢・お仕事の方がご自分の体験
などを書かれていて、「日本は広いなあ」「どこも同じことがあるの
だなあ」と思ったりします。
はいつさんの「コラム」のすぐれているところは、単なる“告発”
ではないことです。自分の教師生活の経験や今の生活から 教育に
ついて具体的に考察し、仕組みを解いていることです。そして、それ
にご自分の考えを書いているからです。
“告発”はかっこいいですが、それで止まってしまいがちです。
ねばり強く考え→自分の考えを組み立て→具体的発言をする という
ことがないとたんなるワイドショー教育論になってしまうような気が
します。
■さて、私自身は具体的発言などはできません。もう引退してますし。
でも、退職した今「教員の仕事もいい仕事だったなあ」と思えるのが
幸いです。生徒のみなさん、教員のみなさん、学校での楽しい話・
おもしろい話もお聞かせください。楽しい話は元気がでますからね。
■では、「オマエの話を聞かせろや」という方そしてヒマな方は
http://www.aianet.ne.jp/~yokoyama/ 「残日録」
→「残日堂の日々」→「学校とその周辺」をどうぞ。
(こんなとこで自分のホームページの宣伝をするか!
by はいつ&みなさん)
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【2】「灯台モトクラシー」(情報化・第2公用語)について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/toudai.htm)
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こんにちは。
現在就職活動中の大学3年生です。
IT革命と巷ではずいぶんと騒がれていますが、
それに付随して、SIer・SEといった、
IT技術を利用してビジネスコンサルティングを行うという職種が注目されてい
ます。
ただ、私は最近民間企業への就職はやめようかと思っています。
某企業でソリューション ビジネスについて体験させていただいたのですが、
その際同じ立場の学生とたくさん知り合いました。
でも、就職活動っていったいなんなのでしょう?
インターネット上で情報を集め、我先にと企業にエントリー、
自己分析では表面だけの分かったようことを書いて・・・
ゲームみたいで、あほらしくなってしまいました。
しかし、逆に、就職活動をとおして、
ほんとうに自分がやりたいことってなんなのか再認識できたような気がします。
いろいろな情報やいろいろな人との出会いを通して・・・
情報とか、言語とか、表面的なものに流されないで、
自分に常に問い掛けること。
そんな、自分をてらす灯台のようなものも大切にしたいです。
最後に、メールという手段がなかったら、
私はあなたの考えや体験に触れることができませんでした。
私は教育学を勉強しているのですが、
いつも、はっとさせられます。
メールという手段に感謝・感謝です。
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【3】「お別れドッジボール」(競争と教育)について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/owakaredojji1.htm
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「勝利の喜び」というのは、勝ったことだけではなく、自分たちの今までの努力が
形になった喜びもあるでしょうし、なにかに全力でぶつかって得た満足感なども含ま
れている事でしょう。
「はいつ でこ」さんが自分の考えとは違っていても、ドッジボールが出来る事の
喜びを全身で表現していた子どもたちの事を今も幸せな1ページとして覚えているの
は、その子どもたちの笑顔そのもののすばらしさのせいでしょうね。教師は子どもた
ちの心のそこからの喜んだ笑顔を糧にして日々生きているようなものです。子どもの
心のそこからの笑顔はそれはそれは美しい輝きを持っています。この世のものとは思
えない言葉では言い表せない、見たものだけがわかる、そして何度でもこれを見たい
と思わせるほどの魅力を持ったものです。
子どもの天使のような笑顔を毎日見ていたいものです。
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【4】「体罰」と「登る」(教師の研修)について
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/taibatsu1.htm)
( http://www.yukichi.ne.jp/~deko/colums/noboru.htm)
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こんにちは、はじめまして。
さて、「登校」「下校」という表現に注目されたコラム、大変目を引きました。
記事の最初の方で、私の頭の中で「不登校」との関連を思い浮かべたのですが、
案の定、編集者さんもそのことを最後で関係させていましたね。
さらに私は前回のコラムで取り上げられていた体罰にも関わることだ、
と考えました。
すべては、高い位置からの視点で、足元を見ていないような気がします。
たとえば、体罰に関して、私は基本的に絶対反対です。
どうして反対なのか、いろんな角度から考えてみました。
まず、経験的に。
体罰を与えている教師が『なぜその行為が悪いのか』
ということを明示するとともに叱っているのを見たことがありません。
「そんなこと言ったって、誰がどう見ても悪い行為ってものはあるでしょう?」
そんなふうに反論されるかもしれません。
このことに対しても異論があります。
まずひとつは、勘違い。
余程小さな子供を除いては、その言動に背景があると思います。
たとえば、AくんがBくんを教室で毎日罵った。
それだけで判断すれば、確かに誰がどう見てもAくんが悪い、
というふうになるのかもしれません。
けど、Aくんがみんなの知らないところで毎日、
Bくんに罵られていたとしたら。
私自身、私の行為の背景にあるものを全く勘違いされ、
身に覚えのないようなことで教師から体罰を受けたことがあります。
(ただし、私の場合は例のような他人との関係の問題ではなく、
私自身の問題でのことでした)
私は思います。
意識的あるいは、意識的ではなくとも「自分が絶対正しい」
そう思わなければ人を叩いたり、蹴ったりできないのではないでしょうか。
どのような人であっても「絶対」なんてことはありえません。
私たちは大きな社会でたくさんの人とともに暮らしています。
そこには『関係』というものが存在します。
体罰は『関係』を無視して一方の側からしか物事を捉えていない我が侭な行為だと思
います。
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【5】編集人ひとこと
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【1】ご意見録:このHP「残日録」は理科授業の記録も見所いっぱいだと思います。
【2】「灯台モトクラシー」:英会話より日本語会話が必要かもしれません。
【3】「お別れドッジボール」:勝利が目標化するときゅうくつな感じがしませんか?
【4】「体罰」と「登る」:学校と家庭の位置関係が見直されるべきです。
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