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     「東を向いて笑う(1)」
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最近、「憲法」を変えよう、創り直そうと言う声が出ています。

ずうっと前から、そんな感じの議論はあったけど、急に本格化した
ような気がします。

「戦争やテロが頻発する実情に対応できない。」
「国の安全が保障できない。」
「もともと占領軍に押しつけられたもの」
「軍備を否定する国家は世界の笑い物だ。」

なるほどなあ、とも思います。

一方で僕は、今の憲法が「いい」と感じるんです。

これは、感覚の問題です。

議論にならないですよね。

わかります。

でも。

なんか、今の憲法から・・・、
そう、「気持ち」が伝わって来るんです。

「いい世界を創ろうよ。」っていう気迫が伝わって来るんです。

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聖徳太子は「いつくしき のり」、つまり、「心を清める法」を
17条にまとめ、「憲法」という字をあてました。

「憲法」のスタートは、「心のあり方」の指針だったのですね。

隋という軍事超大国、経済超大国を中心とした国際情勢。

そんな中、日本はこんな国を目指しますという、信念の表明だった
のでしょう。

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法ってなんだろう・・と思います。

イエスは言ったそうです。
「法のために人があるのではない、人のために法がある。」

「人のための法」・・・。

さすが、イエス。

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僕は、法のことを考える時に、必ず思い出す母の言葉があります。

まだ、人間が成文法という概念を必要としなかった、昔。

僕たちの祖先は、「しきたり」や「慣習」という方法で生活を運営
してきました。

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みなさんの地域にはどんな「しきたり」というか、「慣習」があり
ますか?

僕がまだ子どもだった頃のことです。

我が家には「東を向いて笑う」という一風変わった慣習がありまし
た。

その年穫れた「お初ものの食材」は、いただく前に家族みんなで
「東を向いて笑う。」のです。

僕は九州生まれの九州育ちですが、母は四国の生まれなのです。

だから、ひょっとすると、母の里の方の「しきたり」だったのかも
しれません。

そこらへんは少しあいまいです。

そうですねえ、たとえば、初物で「さつまいも」などが出てきます
よね。

すると母がみそ汁の具に使ったりするわけです。

そして、こう言うわけです。

「さあ、今年初のおさつや。
 東を向いて!!
 大きな声でに笑いなさい!!」

家族で「わはははは」と笑うわけです。

毎年、毎年、繰り返されてきた「我が家のしきたり」です。

そうすれば、また来年も健康でおさつが食べられるってことなのだ
そうです。

そのしきたりが原因で我が家ではちょっとしたトラブルがおきまし
た。

それは、僕がたぶん小学校5年くらいの時だったと思います。

食卓にはお初ものの「カボチャの煮物」が並んでいたのです。
その時は、僕と母の二人だけの食事でした。

母がいつものように言いました。

「お初もののカボチャや。
 東を向いて、笑うぞ!!」

でも、僕はいつものようには笑いませんでした。

「おかあちゃん、こんなん、おかしいやんか。」

「何が?!お前なんで、わらわんのや?」

「こんなん、迷信やんか!
 いつまでも、こんなあほらしいことできんわい。
 なんで、笑って食うたら、また来年も食えるんか。
 そんなこと、ありえんわい。
 科学的に言うても、おかしいわい。」

「・・・・。」

「こんなん、やめようや。
 もっと、科学的にいこうや、科学的に!
 笑って食っても、人間やから、明日は交通事故で死んどるかもし
 れんで。
 来年食えるとは限らんやんか。
 なっ!おかあちゃん、やめようや。
 こりゃ、あほくさいし、はずかしいわい。
 家の前を通りかかった人が聞いたら、変な目で見るにきまっとる
 で。
 やめや、やめや。
 だいたい、今でもこんなこと続けとる家があるもんか。
 僕はやめる。
 おかあちゃんが一人ですりゃあいいよ。」

母は言いました。

「お前、学校行って、何、勉強しとるんや?!
 お前みたいな人間を『小利口(こりこう)のバカ者』と言うんや。」

哀れむような目を僕に向けて続けました。

その2につづきます。)



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