私は学生の頃、コーヒーに凝ったふりをしたことがある。
友人達はギターに凝ったり、ステレオに凝ったり、登山に凝ったりと、何かに凝って
ないといけないみたいな雰囲気があった。
そんな中で、体力、知力、財力に劣る私が選んだのがコーヒーだったのだ。
ブラックで飲む練習をし、それなりに銘柄も覚えた。
四畳半の下宿にはコーヒーとさわやかサワデーのまじった香りが漂ったもの
だった。
そのころの憧れはトワルコトラジャって銘柄のコーヒーだった。
なにしろ、高い。
モカやキリマンなんて問題にならないほど高い。
バイトをして憧れを手に入れた私は、友人達を下宿に誘い試飲会をした。
友人が他の友人に誘いをかけたため、予定の人数をはるかに超える参加者が四畳半に
集結した。
そのため予想もしなかった難点が浮上した。
コーヒーカップが足りなくなってしまったのだ。
しかたなしに私はカップラーメンの空カップを洗い、でかめのコーヒーカップにし
た。
ホストとして当然の処置だった。
そうして飲んだ私のトラジャは、やはり、まずかった。
私の中でトラジャはカップラーメンのカップを受け付けなかったのだ。
コーヒーカップで味わうトラジャもカップラーメンで味わうトラジャも同じはずなの
に、、。
にせコーヒーテイスターの私にとってのトラジャは、器に負けたのだ。
何のことはない、にせ者は器にまけるという真理を確認しただけのことだった。
猪木は器を選ばなかった。
新日本旗揚げ当初、わずか百人前後の観客の前でファイトしたこともある。
魚市場の特設リングもあった。
路上でシンに襲われたこともある。
マサとの死闘は観客なしの巌流島だった。
馬場への挑戦は全日本のマットでOKというものだった。
竹林の中での異種格闘技戦を考えたこともあったそうだ。
もちろん、ドームでもやった。
どの器の中でも、私たちは猪木を味わえた。
猪木は本物だったし、私たちは本物の闘魂テイスターだったのだ。
闘魂伝承を旗印にした橋本は小川戦についてテレビのインタビューで語った。
「(観客)六万人以上じゃなきゃ、小川戦はやれない、俺はそれだけの前で恥じかかされたんだ
から。」
みずから、器を選んだ橋本を私は味わえないかも知れない。