権力と権威

 佐藤栄作という総理大臣がいた。
戦後、最長の任期を記録した総理大臣である。
沖縄返還をなしとげ、非核3原則を世界に宣言した首相である。
なんとノーベル平和賞まで受賞した。
 田中角栄や竹下登なども佐藤派に属していたという、すごすぎる日本のドンだった。
退陣の記者会見では新聞記者を会場から閉め出すという離れ業を演じた男であった。

 その佐藤首相、退陣後にこう述べたのだ。
「栄ちゃんと呼ばれたかった、、。」

 総理という最高の椅子に座り、最強の権力を手中に収めた男が「栄ちゃん希望」だった。
(お断りしておくが矢沢エイキチの「エイちゃん」とは何ら関係ない。)

 そういえば佐藤首相はどこから見ても佐藤首相だった。
田中首相のように「コンピューター付きブルドーザー」総理でも、竹下首相のように「気配り」総理でもなかった。
小渕首相など「冷めたピザ」総理と言われても、なんだか嬉しそうなのだ。

 佐藤首相は「栄ちゃん」総理と呼ばれたかった。
つまり「自分は最高権力を手にしていても庶民派だ」というアイデンティティーを冠名という形で欲したのだ。

 「権力」は実力で手に入れられる。
しかし、冠名は周囲が作り出すもの。
言葉を換えれば「権威」である。
誰も佐藤首相に「庶民派の栄ちゃん」という権威を認めなかったのだ。
権威は権力よりも得難いものなのだ。

 「燃える闘魂」は猪木であり、「世界の巨人」は馬場だった。
「革命戦士」は長州で、「ど演歌ファイター」と越中を呼ぶ。
「破壊王」は橋本だし、「格闘王」は前田だ。

僕らプロレスファンは彼らから勇気や強さ、感動をもらい、彼らの権威を認めた。

破壊王を破壊した小川は何なんだろう、、?



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