薄くなった一人称

 「営業のの福原です。」と電話がかかってきた。
僕の知人で、しかも電話がかかってくる「福原」と言えば、この人しかいない。
それで、僕はこう言った。
「ただ福原って言ってくれれば、わかりますよ。」
「はぁ、でも癖になっちゃって、、。」

 そういえば「●●の○○です。」って場面が世間一般に広がっている。
もらった名刺にも所属肩書きが必ずついている。
そういう僕も電話をして呼び出してもらう時、「総務の高田さん、お願いします。」っていう。
もしかすると「高田さん」はその事務所に一人しかいないかもしれないのに、、。
高田さんはフルネームで言うと高田健二だ。
だから、「高田健二さん、お願いします。」と呼び出してもらえばいいのに、「総務の高田さん」といってしまう。

 どこかしこで一人称が薄くなってきている気がする。
「高田は高田だよ、俺は高田なんだ。高田たる俺が総務にいるんだよ。」
そんな叫びは虚しくなってきた。

 まず組織ありき、そして所属者ありきになってしまった。
僕たちは「俺は○○だ!!」って主張する事がなくなった。
だってそう言ったら「あなた、どこの○○さん?」って聞き返されそうだもん。

 漫画界には、いきなりタイトルに強烈な一人称を打ち出した名作がある。
つべこべ言わずに俺の生き様を見てくれ、感じてくれっていう作品がある。
こんな時代だからこそ僕ら漫画読みは読まねばなるまい。

「俺は鉄平(ちばてつや)」と「俺は直角(小山ゆう)」を。




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