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「保護者コラムニスト宣言」 はいつ でこ
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 僕たち保護者は知らず知らずのうちに学校を家庭より高いところに位置づけています。
  だから学校に通うことを「登校」といい、家に帰ることを「下校」といいます。
  学校は登るところ、上にあるもの、そういうふうにして存在してきたのです。
 学習がわからなければ「落ちこぼれ」、試験に不合格だと「落ちた、サクラチル」。
 これらの言葉が端的に学校と家庭の位置関係を表しています。
 例えばPTAにしても協議機関ではなく、上意下達の通達機関になっています。

 ある学校の校長先生が言いました。
 「学校と家庭は車の両輪です。一緒にすすみましょう。」
 この校長先生は学校と家庭とを同じ高さにしようとしてくれています。
 その意味では貴重な考え方だと思います。

 しかし、問題は誰がその車のハンドルを持っているかということなのです。
 現状では多くの場合「学校=教師」をまかせっきりにしています。
 保護者はそのハンドルさばきに合わせて無事に学校生活を送れることを望んでいます。
 それは教師のせいでも何でもない、僕たち保護者の甘えが大きな要因だと思うんです。
 その意味でハンドルを押しつけられた教師も被害者なのかもしれません。

 マスコミに登場し、教育を語るのは心理学者や教育評論家、政治家、官僚、経済人、有名作家。
 彼らの言葉は含蓄があり、説得力があります。
 子育ての参考として重要な役割を果たしてくれます。
  しかし、現状は彼らの作る世論に僕たち保護者は右往左往の毎日だったかもしれません。
 
 学校を仰ぎ見て、教師にハンドルを押しつけ、権威や名声・著名人に教育論を委ねる毎日。
 もう、いいのです。
 もう受動態オンリーの保護者は終わりを告げるべきなのです。

 教育というベクトルは家庭から出発するのです。
 ならば、僕たち保護者はもっと公の場でも発言せねばなりません。
 そのために僕は今日から「コラムニスト」になります。
 地位もなければ権威もない、文章だって下手で表現力もない。
 そんなことは、十分に自覚しています。
 しかし、僕は2人の子どもの親として、もっと大きな自覚を持ったのです。
 僕には少ないけれど教職体験もあります。
 その体験を複眼の一つにして、お父ちゃんはコラムを発信します。
 今はまだ誰も認めてくれてはいないけれど、僕はここに「保護者コラムニスト宣言」をします。

 そして、先生・OB・行政担当者・教育に関心のある方、いろんな人のご意見をお待ちしています。
 みんなで教育コラムの輪を作りませんか?



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