「子どもが学校に行かなくなったら」・・・もし、そう考えて、不安になる
ようなら、それは「学校依存症」なんじゃないでしょうか。
それこそが、「家庭の植民地化」を確固たるものにする原動力だと僕は考え
ています。
まず「学校依存症」から脱皮しましょうよ。
これ、学校をなくしちゃおうってことじゃないですよ。
アルコールだって、適量飲めば「百薬の長」とさえ言われます。
また、まったく飲まない人だっているわけです。
だけど、アルコール依存症があるからといって、アルコールをなくそうとい
うことではありませんよね。
学校だって、そう。
学校と適度な距離で関わっていくか、または、まったく関わらないか。
そんな、自分なりのつきあい方を考える余地を持ちましょうよってことです。
そうは言っても、これほど、義務教育が定着し、社会の中で学校の位置づけ
がはっきりしている現在、なかなか、それは容易ではありません。
実は、僕とかみさんは、最初の子どもが授かったときに子育てについて話し
合ったんです。
いろんなことを話し合いました。
細かく言えば、食事のこと、お菓子のこと、テレビのこと、ゲームのこと、
流行のこと、お金の価値のこと、競争のこと・・などなど。
それぞれについて、僕らは一定の方針を決めることができました。
その中で、学校教育についても考えたんですね。
学校について、たどり着いた結論は「まず、学校なしの子育て」を考えよ
うということでした。
そして将来、子どもが学校に行こうとも、行くまいとも、子どもの選択を
尊重しようと・・。
その結論に至るまで、僕らは、僕らなりに真剣に考えたんです。
そもそも、僕ら自身が、学校教育にお世話になって育って来た世代ですか
ら、「学校なし」だと、いろんなことが困ってきそうだと思いました。
具体的には、こんなことが頭に巡ってきたんです。
学習はどうしたらいいんだろうか・・・?
他人とのコミュニケーションをとれなくなるのでは・・?
友達作りは・・・?
将来の就職は・・社会に出られるのだろうか・・・?
生活していけるのだろうか・・。
親戚はどう思うだろう、ご近所の目は・・・?
などなど・・・。
なんのことはない、当時の僕らこそ「学校依存症」の重症患者だったのです。
僕らの話し合いは続きました。
(つづく)