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【1】あつしくんの選択 (2)
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「学校に行きたくない。」
というあつしくん(小学校4年)の言葉にショックを受けたご両親。
しかし、
「学校に行けるように自信を取り戻すのではなく、学校に行かなく
  ても大丈夫だという自信をつけるべきではないか。」
という発想の転換をされました。

そして、「釣り」というあつしくんの趣味を通して家庭での「学び」
を始めたのです。

けれどもお父さんは悩みます。
「学校にも行かず、釣りをするような毎日が、子どもの役に立つの
  だろうか。
  なまけぐせのついた子どもになるだけではないか。これが教育
 なのだろうか。
  あつしは、こんな毎日をどう思っているのだろうか。」
と・・・。

近所の人たちの目も気になります。

1ヶ月ほど釣り三昧の日々を送った親子。

お父さんは釣った魚の名前や習性をあつしくんに聞いていきます。
それに、答えるあつしくん、さすがは釣り好きの少年です。

あつしくんは魚の図鑑を買ってもらいます。
そして、魚のことについて研究を始めたのです。
夏休みの自由研究でさえ、苦労をしていたあつしくんが自分から研
究を開始したのです。

ご両親は一安心をされます。

「私たちは、なにか方向が見えた気がしました。」・・・。
そういう確信を持ちます。

また、ある時、釣りに出かけたあつしくんがビニル袋に空き缶をか
かえて帰ってきました。
それは、海に散らばっているゴミだったのです。
自分の家のかたづけさえ好まなかったあつしくんが、週に1度は海
のゴミを拾うと決めたんだそうです。

この変化はご両親に安心だけでなく何か大きな価値を感じさせます。

僕は、あつしくんとご両親の姿に学ぶものがたくさんありました。

特に、
「学校に行けるように自信を取り戻すのではなく、学校に行かなく
  ても大丈夫だという自信をつけるべきではないか。」
という発想は大きな意味を持つと思います。

この言葉は、ご両親自身が、まず自信を持とうという思いのあらわ
れだと思うのです。

また、あつしくんが一番興味を持っている釣りを家庭での「学び」
の柱にしたこと。

いわゆる学校で行われる教科の学習ではなく、生活の中から家庭独
特の取り組みを模索したことに、僕は学びたいのです。

そして、時間をさいて、子どもと釣りに出かけたお父さんの行動力。

ご近所の目やご自身の不安と闘いながらの行為はたやすいものでは
なかったと思えます。

また、見逃しがちなことが一つあります。

お父さんが、あつしくんに魚のことを質問するというちょっとした
会話。

ここを見逃してはいけないと思います。

この会話が、あつしくんの探求心をくすぐったのではないでしょう
か。
それが、釣りから発展した研究へとつながっていったと僕には思え
ます。

そして、海岸をきれいにしたいと行動を始めたあつしくん。
僕はあつしくんの行為に敬意を表したいです。

あつしくんのお父さんが送って下さった経験談。

学校だけが学びの場ではないという、実は当たり前だけれども、
厚い霧の先にかすんでしまっていたことを見せてくれた気がし
ます。

ただ、忘れてはいけないことも一つあると思います。

それは、担任の先生のことです。

僕も教員の経験がありますが、おそらく先生はあつしくんの通学を
待っています。

心待ちにしていると、僕は思うのです。

もちろん、だからといって、あつしくんの選択を曲げる必要はない
と思いますが、先生が待っているということも覚えていて欲しいの
です。
だから、今のあつしくんの姿を先生に伝えて欲しいと思います。

家庭教育の独立は外へ向く教育革命でも教育改革でもありません。
じっくりと自己の内側を見つめる「発見の行為」だと思います。

次回は、ある小学校4年生の女の子のことをご紹介します。

*あつしくんのお父さんのメール全文は下記のURLにあります。

 http://village.infoweb.ne.jp/~fwkh8072/deko/dokuritu/guest/13.htm



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