「向上心を持とう。」・・。
これは教育現場でよく語られる言葉だと思います。
だから、僕の考え方は少し妙に感じられるかも知れません。
でも僕は「幸福は向上心をなくすこと」だと考えているんです。
そんなふうに考えるようになったきっかけは僕の娘の姿からでした。
それは彼女が2才の頃・・クレヨンを持ち始め、絵を描くことの楽
しさを知り始めた頃です。
画用紙に一心不乱に何かを描いていました。
何の絵を描いているのかも見当がつきません。
線も面もまったく区別なしの絵でした。
ただ、どんどんいろんな色を塗り込んでいくのです。
そして、その時のその顔は実に幸せそうだったのです。
この時、娘はもっと上手にクレヨンを使いたいとか、もっとうまい
絵を描きたいとか、思ったでしょうか・・。
答えは否だと思います。
そんな思いは全くなかったと思うんです。
ただただ、クレヨンで絵を描けるという喜びに満ちた表情でした。
ひたすら、その瞬間の喜びにつかっている表情だったのです。
僕はこの時、幸せについて考えたのです。
もし、娘が向上心を持ってこの絵を描いていたとしたら・・・。
「もっといい線が出したい。」
「もっと、素敵な色で描きたい。」
そういう思いが娘にあったとしたら・・。
彼女にこの表情が生まれただろうか・・。
それまでの僕は「向上心」が幸せの素だと漠然と考えていました。
しかし・・。
しかし違っていたのではないか・・僕はそう思ったのです。
「向上心」・・。
それは現在の自分に、ある種の不満足を、それがかすかではあって
も前提とするものだと思います。
その不満足を前向きに解消していくこと、その過程が幸せなんだと、
それまでの僕は考えていたのです。
しかし、それからの僕は、この考えをどこかで否定するようになり
ました。
「今の自分がいい。」という思い。
うぬぼれや傲慢から生まれる外に向けた自己意識ではなく、自己の
内側に向けた満足感。
僕はこれが幸せの素なのではないかと考えるようになったのです。
いまだに、僕にはっきりとした考えがあるわけではありません。
しかし、それは、もやもやとした思いながらも僕の中に形を作ろう
としています。
「幸せは向上心をなくすこと。」
御意見お聞かせ下さい。
次回からは、いろんな方に頂いた「幸せ感」についてご紹介してい
きます。