こんにちは! ミヅキ(大学生・F)と申します。

やっちゃんさんと、はいつさんのお話に関連してると思うのですが、
私、最近やっと「親友」の呪縛から解けたんですよ!
「親友」って言葉、初めてきいたのは多分、幼稚園か小学校低学年だった
と思うのですが、とてもステキな響きに聞こえました。
「私の親友、○○ちゃんへ!」とか、手紙に書きっこして喜んでた気がします。
ところが、成長するにつれて、
そんなたわいもない言葉が重荷になってきたんですよね。
思春期ってただでさえ、悩みますでしょ? 
歯を磨くみたいに、「悩むのが日課!」みたいな(笑)(私だけかな?(^^ゞ)
当人はそうなってしまってることに気付いてなくて、一人で苦しがってしまうわけで。

その頃、悩んでたのが、「私には親友がいない。心を開いて話せる人が、友人も
親も誰もいない。」って悩みです。
そのうち誰にも何も本当に思ってることがいえなくなって、無口になって、
誰もかれもが信じられなくなって、暗闇にポツンと一人で置かれて、体育座りして
泣いてる気分の毎日になってました。

ずっとそんなふうなことを考えてたんですけど、
でも、ある日、突然、頭の中でツッコミが入ったんですね。
「私が信じたい人を信じればいいやんか」って。
それからは、「親には何言ってもわからん」って決めたのはかってな私の
独りよがりで、「言ってみらんと始まらんやないか」って思い始めて、
恐る恐る実行に移してみたら、口喧嘩とか激しくやりあいになってるのに、
以前より自分を締め付けてたものから解放されているような気がしました。

友人に対しても「相手が私をどう思ってるか」を見抜くことが社会で生き抜く上で
重要なワザのように考えてしまっていたんですが、
「私が好きで、信じたい人に、私がその人をどう思ってるか伝えることの
ほうが大事やん」って考えたら、パラパラと自分を戒めてたものが取れちゃうようになって、
そしたら、「相手に裏切られるかも」って恐怖が消えて、
どんどん伝えて、キャッチボールが始まって、その人たちと会えて、話せることが
とても楽しくて大事なことに思えるようになりました。

「親友」の話題から離れてしまいましたでしょうか? (^^ゞ
上記のようなことを体験するうちに、「親友」ってなんやろ?って考えてみた
んですけど、そんな「もの」、「ない」って思い始めたんです。
「親友」の定義って、何でしょ?「何でも話せて、理解し会える人」って
ところでしょうか。
けど、自分が先に「こんな人」って思い描いても、そんな人、現実にはいないです。
「想像の産物」を当てはめることは、相手に対しても失礼やし、逆に私も
誰かに「こんな人やと思ってたのに」っていわれるのはうざったいですもん。

だから、私、「架空の親友」は思い描くのやめました。
私の周りで、相手がどうであれ、私が信じたいと思える人、
楽しく過ごしたいと思える人を私が大事にしていきたいと思ってます。
だから、私は「親友いますか?」ときかれたら、
「そんな人がいるかどうかなんて、考えない。大事にしたい人はいっぱいおるよ」
って答えると思います。

なんだかいっぱい書いちゃいましたですね。(^^ゞこのへんで失礼致します!
また、メールします。

(ミヅキ)



目次へ       表紙