メールマガジン、いつも楽しく読ませて頂いています。
前回の、死刑のお話について、少し言いたいことがあったの
でメールします。
 
私にも、大切な人を誰かに殺害された経験はありません。
だから多分私の言っていることも無責任なことでしょう。
でも、無責任ながらも色々考えてみました。
 
私は、死刑制度は必要だと思います。
 
極端な例かもしれませんが、例えば、麻原彰晃教祖は、何
の関係も恨みもない(恨みがあれば殺していいわけではな
いけれど)人を何人も殺しました。
人を殺しておいて、自分は生き続ける・・・。
おかしいと思いませんか?
 
 
>もし、僕がその被害者の立場に立ったなら・・・。
>傲慢さを知りながらも、そう考えました。

>僕は、その犯人を憎むでしょう。
>心の底から憎いと思うでしょう、殺したいくらいに憎いと思うでし
ょう。
>死刑にしてもらいたいほど憎いと思うでしょう。

>でも、それはあくまで、殺したいほどに「憎い」のです。
>死刑にしてもらいたいほどに「憎い」のです。

>実際に「殺す」ことを望んでいるのではないのです。
 
 
 本当に?
 もし私の大切な人が殺されたら・・・。
 もし犯人が死刑にならなかったら・・・。
 きっとものすごく理不尽な思いをすると思います。
(勿論・・・殺されてしまった時点で十分すぎるくらいに理不尽ですが)
 彼女(彼)は死んでしまったのに、何故、人を殺したあいつは、生きている?
 そう思うかもしれません。
 ひょっとしたら、自分の手で殺そうとするかもしれません。
 
 私は、もし自分の大切な人が殺されたら・・・犯人を死刑にして欲しい。
 実際に、「殺す」事を望むのではないでしょうか。
 
よく、「刑務所で罪を償う」というような言い方をします。
でも、人を殺した罪というのは、自分が死ぬことでしか償えないので
はないのですか?
何て言うか・・・上手く言えないのですけれど。
 
それに日本では加害者の人権が大切にされすぎです。
 
何処まで死刑にするか?とか、冤罪については、まだ沢山考えないと行けな
いことがあるし、問題も沢山あると思うけれど、でも、やっぱり死刑は必要だ
と思います。



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