三千人もの見知らぬ大船団が海を越えてやってきた。
それを見た縄文時代の人々はどう思っただろうか?
おそらく、一言「ひえーーーーー。」だと思う。
少なくとも「いらっしゃいませ。」はないだろうなあ。
この頃、日本の人口はだいたい二〇万人くらいだったって言われて
いる。
二〇万人が日本の各地に散らばっていたんだから、一つの地域には
たかが知れている。
縄文時代の集落の遺跡「青森県三内丸遺跡」には五百人くらいの人
が住んでいたと考えられている。これでも最大級だもんね。
もし闘ったとしたら、「五百人の縄文軍」対「三千人の徐福軍」だ。
一人で六人を倒して、やっと引き分け。
縄文日本人が全員Mr.ボブ・サップ(プロレスやK−1で活躍する
スーパースター。「野獣」のニックネームを持つ。)でもない限り、
こりゃあ、相手にならないよね。
江戸末期の黒船どころの騒ぎじゃない。
徐福さんは「縄文のペリー」だ。
いやいや、ごめんなさい。こりゃ、ちがうかな。
ペリーさんの方が「江戸の徐福」と呼ばれるべきかも知れない。
てなわけで、僕は徐福さんの到来が「縄文日本」にすごいインパク
トをもたらし、その衝撃が「弥生時代」を到来させたのではないか
と思っている。もっとつきつめれば、世界初の皇帝「始皇帝」さん
の個人的な健康志向が「弥生」を生んだと・・・。
縄文時代おわりのころ、すでに日本列島は国際社会の大きなうずの
中にいたのだ。
縄文日本は、「秦」という当時の超大国の、ほんの目と鼻の先に位
置しているのだから、それも当然のことだったと僕は考える。
とまあ、こんなふうに想像の輪を広げていったのです。
歴史教科書を見て、「土器の名前が変だぞ。」って思ったことが、
想像の世界の扉を開けたのですね。
そして、それは縄文日本と弥生日本の断層面につながり、悩める
「始皇帝さん」とちょっとあやしい「徐福さん」の登場にまでおよ
んでしまった。
振り返れば、僕にとって、それは、とてもスリリングな作業だった
し、これが、僕流の歴史教科書の楽しみ方なんですね。
また、3人の方(「川瀬」さん、「中学校教諭」さん、「田中」さ
ん)から「私は縄文・弥生をこう読む」または「最新の研究は」っ
て感じでメールを頂きました。
「なるほどなあ・・。」ってうなづかされました。
僕のHPに掲載させていただいてますので、どうぞご覧下さい。
スペシャルサンクスであります。
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkh8072/deko/his/iken/
では、この章「土器は語るよ(縄文と弥生)」の最後に、僕のかみ
さんの感想を・・・。
「おもしろかったよ。
受験勉強のための歴史って嫌いだったけど、興味が持てたなあ。
カメは万年の話で縄文時代が1万年前ごろから始まったってのも
覚えちゃったし・・。
始皇帝や徐福って人が縄文時代と弥生時代の橋渡し役ってのは、
ありえそうな気がしたなあ。そう考えるとドラマを感じるね。
でも、ちょっと説明がくどい気もするよ。もう一工夫かもね。」
サンキュッ!かみさん!
さあ、ここらへんで、教科書の次のページをめくってみます。
おお、次は「女王の国」と書いてあるぞ。
(次号に続きます。)
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【2】ご意見ご紹介
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■ご感想、頂きました。
「ともみ」さんからのご感想です。うれしすぎです。
*************「ともみ」さんから******************
こんにちわ。ともみです。
14歳、中3です。今受験でいろいろと大変なのですが、
とってもおもしろくて、毎日読むのが楽しみです!
これからもいろいろと教えて下さい♪
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大変な中、ありがとうございました。
今後ともよろしくお願いしまーす。