やってきました。金曜の夜の歴史エンターテイメント。
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目次
【1】今回の発信
【2】メールいただきました。
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【1】 第5章 古墳時代 「前方後円墳とてるてる坊主」
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「古墳」・・・。
この言葉は小学校の教科書にものっていて、こんな感じで説明され
ている。
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古墳とは3世紀の後半から造られはじめた豪族や大王の墓。
「大山(だいせん)古墳」は、世界でも最大級の墓で形の上からは
「前方後円墳(ぜんぽうこうえんふん)」である。
「仁徳陵(にんとくりょう)古墳」とも呼ばれている。
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「前方後円墳」って言葉を僕は小学6年生の時に習った。
いきなり先生が「古墳には『ぜんぽうこうえんふん』って言うのが
あるんだけど、どんなんだと思う?」って問いかけたのだ。
「ゼンポーコーエンフン」?
なんか、お経みたいだなあ・・・。
・・なんて考えていたら、先生が黒板にその形を書きながらちゃん
と説明してくれた。
「『方』っていう字は『四角』の意味やね。
ほら正方形とか長方形とかの『方』ね。
そして『円』はわかるよね。『丸』ね。
つまり、前が四角で、後ろが丸の形をしたお墓のこと、
これが前方後円墳なのね。」
「なるほど。」と僕は理解した。
でも先生の描いた絵が、どうみても「てるてる坊主」に見えてしか
たがなかった。
僕やったら「てるてる坊主古墳」とでも名付けるなあと思った。
で、その時、「?」と思ったことがある。
なんで、前が四角で、うしろが円なのかってことだ。
これ、別に「てるてる坊主型」、つまり、かっこうよく言えば
「上円下方墳」でもいいんじゃないかって。
で、センセに聞いてみると、
「それは良い考えね。
でも、『前方後円墳』って名前に決められてるんだから、そう覚
えてね。
第一、てるてる坊主は、まだそのころには作られていないわ。」
と優しく言われてしまった。
とまあ、そんな思い出がある。
では、いったい、いつ、誰が、なぜ「前方後円墳」と命名したのだ
ろうか・・・。
実は、名付けの親は、江戸時代の学者
「蒲生君平(がもう くんぺい)」という人なのだ。
その蒲生さんは、当時、荒れ果てていた古墳を調査し、本にまとめ
た人だ。
で、どうして、蒲生さんが前方後円墳と名付けたのかというと・・・。
一言でいえば、あの古墳の形が「牛車」に見えるからということな
のだ。
「牛車」・・・。
牛に引かせて人間が乗る車ですね。
あの、平安貴族などが、優雅に、まったり、まったりと進む車です。
古墳の形から言えば、丸の部分に人が乗って、四角の部分を牛に引
かせる「牛車」。
つまり、死んだ豪族や大王を、あの世まで乗せていく「牛車」が古
墳なんだということ。
だから、前が四角で後ろが丸。
これが逆だと人が牛を引くことになっちゃう。
なるほど・・。蒲生さん、さすがだなあ。と僕は感心していた。
でも・・・。
ちょっと待てよ、と僕は思った。
たしかに、「てるてる坊主」はこの時代には存在しなかっただろう。
じゃあ・・・。
じゃあ「牛車」はこの時代に存在したのだろうか。
いや、実は「牛車」だって存在していない。
「牛車」は古墳時代から見れば、遠い未来の乗り物なのだ。
明治時代の人が「スペースシャトル」も「キティ」ちゃんも知らな
いように、古墳時代の人は「牛車」も「てるてる坊主」も知らない。
つまり、「前方後円墳」という名前をつけることは、
「てるてる坊主古墳」という名前をつけることと、ほとんど等しい
のだ。
ならば、僕らは「前方後円墳」という名前にしばられてはいけない
のではないか。
まあ、もちろん、テストなんかに出ちゃうから、その名前を知って
おいた方がいいだろうけれど・・・。
でも、その名前は「てるてる坊主古墳」とあまり変わらないってい
うことも知っておいた方が歴史を楽しめるのではないだろうか。
ちなみに、僕は、大人になって、空の上から「大山古墳」を1度だ
け見たことがあるんです。
大阪の上空を飛行機で飛んでいるときに見たのです。
その時、僕は、あの古墳は「てるてる坊主」見えなかった。
大人の僕には「弥生時代のツボ」の形に見えたのです。
大切なものをツボにしまうように、豪族や大王の遺体を巨大なツボ
型の墓におさめたのではないかな・・・。
そんなふうに思いました。
古墳の形ひとつとっても、歴史というものは充分に楽しめるものだ
と思います。
実は、その楽しみを最初に味わった人は、蒲生君平さん、その人な
のかも知れません。
ではまた。
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【2】メール頂きました。
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■川瀬さんから「邪馬台国を幻にしたのは学者たち」というタイ
トルで投稿していただきました。ありがとうございました!
みなさんも、ぜひともお読み下さい。またひとつ歴史観がひろ
がることと思います。
下記にあります。
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