やってきました。金曜の夜の歴史エンターテイメント。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
▲バックナンバーはこちらです。↓
http://village.infoweb.ne.jp/~fwkh8072/deko/his/
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■おわび:依然、体調が悪く(目がちらつくんです)、発信が不安定に
なってしまいました。ごめんなさい。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
目次
【1】今回の発信
【2】メールいただきました。
【3】僕がやってること
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
第6章 蘇我氏の時代 (4)「天敵の大量破壊兵器」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
2003年3月20日・・・。
ブッシュさんを大統領とするアメリカは、フセインさん率いるイラ
クに戦争を仕掛けた。
「大量破壊兵器」を隠し持つイラクはならずもの国家だと主張し、
空爆を開始した。
もし、この戦争がアメリカの勝利に終わり、フセインさんが失脚し
たとしよう。
その上で、もし、アメリカが「大量破壊兵器」を見つけることがで
きなかったとしたら・・・。
ブッシュさんはアメリカ国民、イラク国民、そして国際世界に何と
言うだろうか?
「すみません、『大量破壊兵器』の件ですが、ありゃあ、間違いで
した。
どうやら、持ってなかったみたいです。
まあ、たまには、アメリカの正義も間違いを犯すことだってあり
まっせ。」
・・・そう正直に言うだろうか?
僕は、絶対にそんなことは言わないと思う。
そんなこと言ったら、世界中から非難を受け、アメリカこそ最強の
ならずもの国家になっちゃうからだ。
じゃあ、どうするか・・。
万が一、証拠が見つからなければ・・・。
でっちあげる。
「どうせフセインは悪者なんだから、いいよね、ラムちゃん。」
とラムズフェルドさんと相談して、でっちあげちゃうと思う。
そして、少なくともアメリカの歴史にはこう残る。
「2003年、3月。
アメリカは、大量破壊兵器を隠し持っていたイラクに宣戦布告し、
勝利を得る。」
いや、これは、別にブッシュさんがウソつきの悪代官みたいだと言っ
てるのではない。
逆に、フセインさんが戦争に勝てば、もし、大量破壊兵器を持ってい
たとしても、それを隠しきり、イラクの歴史にはこう残るはずだ。
「2003年、3月。
アメリカが『大量破壊兵器』という言いがかりをつけ侵略してき
たが、イラク軍が撃退した。」
何も、外国だけの話ではない。
たとえば、戦国時代の覇者、徳川家康さんは、自分自身の歴史を書
き換えた。
自分は源氏の一族だというウソの系図を書かせ、まんまと征夷大将
軍になった。
そのために、存在しなかった人物を作りだし、存在しなかった血縁
関係を作り出している。
そして、それが、正統な「歴史」とされていたのだ。
勝利者が作る歴史とは、しょせんこんなものかもしれない・・・。
いや、だからこそ、僕らは、今起こっている「イラクとアメリカの
戦争」をしっかり見つめなくちゃいけないと思う。
で、蘇我氏・・・。
教科書でもおなじみの蘇我氏の歴史は、蘇我入鹿を暗殺し(いわゆ
る「大化改新」のきっかけね。)、蘇我本家を滅亡させた天智天皇
や藤原氏の子孫によって書かれた歴史なのだ。
その歴史書の名前は「日本書紀」。
日本書紀は、蘇我氏にとって、勝利者アメリカに書かれたフセイン
の歴史みたいなものだ。
当然、「大量破壊兵器」があったと書く。
あろうが、なかろうが、そう書く。
では、蘇我氏にとって「大量破壊兵器」は何だったのか・・・?
それは「聖徳太子一家を滅ぼした。」ということだ。
日本書紀は643年、蘇我入鹿が山背大兄皇子(やましろの おお
えのおうじ)を死に追いやったと記している。
この山背大兄皇子こそ、聖徳太子の息子さんなのだ。
ここに、聖徳太子一家は滅亡してしまう。
もし、聖徳太子がごく普通の凡人なら、「聖徳一家を滅ぼしたこと」
が、それほどの「大量破壊兵器」ではなくなってしまう。
日本書紀はとって、聖徳太子はすごい英雄でなければ都合が悪いの
だ。
聖徳太子が偉ければ偉いほど、その一家を滅ぼした蘇我入鹿は悪者
になるという図式なんだから・・・。
「そうよねえ、悪代官が悪どいほど、
黄門様は偉くみえるものねえ・・・。
吉良 上野介(きらこうずけのすけ)が人のいいおじいさんだっ
たら、赤穂浪士(あこうろうし)は英雄になれないものねえ。」
と横から口をはさんだのは、かみさんです。
となると・・・。
聖徳太子の数々の輝かしい功績は、実はでっちあげの可能性だって
ある。
いや・・・。
もっと考えれば、徳川家康がそうしたように、聖徳太子自体がでっ
ちあげの人物だって可能性も否定できない。
蘇我氏の時代の歴史は、このように慎重に考えなければならないと
僕は思う。
「でもさあ、日本書紀は蘇我氏の天敵が作った歴史書でしょ。
だから、いくら読んでも蘇我氏は悪者って感じになるしかないん
じゃないの?」
というかみさんの疑問はごもっとも。
でも・・・。
たしかに日本書紀を作らせたのは蘇我氏の天敵だけど、実際に書い
たのは当時のお役人や歴史学者だもん。
もし、でっちあげを書かされたにしても、心が痛む部分があるはずだ。
しかも、この先、永遠に残るかも知れない歴史書だ。
「これはウソですよ。」とはっきりは書けないまでも、後の世の人
々に「これはウソかもね。」と思わせるヒントのようなものを書き
残しているかも知れない。
僕は、そのヒントに初めて気づいたのは、
「淡海三船(おうみのみふね)」という人だと思っている。
その三船さん、722年生まれだ。
そう、あのが日本書紀できあがったころに生まれた人だ。
実は、この三船さんは、聖徳太子さんや蘇我馬子さんが活躍したと
されるころの天皇、「推古天皇」の名付けの親でもあるんだ。
「ええっ!
それ、おかしいわよ。
だって三船さんって722年生まれでしょ。
聖徳太子さんや馬子さんが歴史に登場するのは、三船さんが生ま
れる100年以上も前のことよね。
生まれる前に存在した天皇に名前をつけられるはずがないじゃな
いの。」
というかみさんの疑問も、ごもっとも。
けど・・・。
(つづく)
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
【2】メール頂きました。
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■西本さんと神田さんから、僕の「馬子、馬年生まれ」説に対して
ご意見を頂きました。
ありがとうございました!
************(by西本さん)************************
これは、すごい発想だと感心しました。
馬子さんという名前、私も、少し変だなと学生の頃に思いました。
その名前から馬子さんが馬年生まれと推理し、その年が仏教伝来の
538年だとは、探偵顔負けの推理です。
これからの展開が楽しみです。
************************************************
*************(by神田さん)***********************
前略
早速メールで紹介していただくなんて光栄です、有難うございま
した。でも「前略」と来れば「早々」ですよねマジーナ!
ところで仏教伝来と言えば552年説も有りませんでしたっけ?
それに馬子の生まれた年から計算すると、馬子の享年は88歳?
それはチョット長生きし過ぎでわないかい。
それにもし干支が名前に採用されていたらもっと他にそんな名前の
人がいてもいいのでは?如何ですか。
早々
*************************************************