やってきました。金曜の夜の歴史エンターテイメント。
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■お知らせ(連休中の僕)
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みなさん、お久しぶりです。
連休はいかが過ごされましたか?
僕は、子どもの頃から念願だった志賀島に行きました。
あの「金印」の島です。
お土産に「金印」のレプリカを買ってきました。
嬉しくて、そこかしこに押しまくりました。
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第6章 蘇我氏の時代 (7)「猫八さんと子猫さん」
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「うーん、じゃあ、あなたは聖徳太子は蘇我馬子の息子・・えっと
名前なんだったっけ。」
そう問いかけてきたのは、かみさんだ。
「蝦夷(えみし)さんだよ。」
「そうそう、そのエミちゃんが聖徳太子だって言うの?」
「うん、僕はそう思ってるんだ。」
「それは、ちょっと考え過ぎじゃないかしら・・。
たしかに、日本書記に聖徳太子さんの名前が『馬やどの皇子』っ
て書かれてるってのは少し変な感じがするけれど・・・。」
「馬やど・・。
つまり馬小屋の皇子って名前は、『馬子の子ども』を連想させる
に十分だと僕は思うんだよね。
皇子の名前に馬小屋ってのも変だろう。
そうそう同じように馬小屋で生まれたキリストの名前はあくまで
『イエス』さんだもん。『馬小屋』って名前がいかに不自然かっ
てことだよ。」
「そうよねえ。
『江戸屋 猫八(作者注:昭和を代表するものまねの達人、特に
動物のものまねは最高)』の子は『江戸屋 子猫』だもんねえ・・。」
「いや、何か違う気がするけど・・。
まあ、いいや。それに・・・。」
「それに、何?」
「それに、聖徳太子さんと蝦夷さんの間にはまだまだ共通点がある
んだ。」
「何よ、共通点って・・。」
「まず、2人とも自分の跡継ぎの代で一家が滅亡に追いやられたっ
てこと。」
「そうか・・。
エミちゃんの家も、子どものイルカちゃんが殺されちゃって滅亡。
聖徳太子ちゃんの家も、子どもさんが自殺に追い込まれて滅亡だ
もんね。」
「それにさあ、両方とも、当時としては珍しい熱心な仏教一家なん
だ。
ね、偶然にしては出来過ぎだろ・・。」
「うん、でも、必然にしては不出来だわ。」
余談だが、この時、僕は、よくわかんないけど、かみさん、うまい
こというなあ、と感心した。
「まだ、あるよ。
当時、蝦夷さんのお宅を『上の宮門(みかど)』と呼んだらしい
んだ。
で、聖徳太子さんの別名が『上宮』なんだよね。
これなんか、まるっきりそのものって感じだよ。」
「へえ、そうなの。こりゃあ、怪しくなってきたぞ。」
「そもそも、僕がおかしいなって思ったのは馬子さんの政治判断な
んだ。
物部氏っていう最大のライバルを倒し、当時の馬子さんは完全な
一人勝ちだよ。
それなのに、なぜ、聖徳太子さんなんていうスーパースターを摂
政(せっしょう)という天皇に次ぐ位につけたかってことなんだ。
だって自分の地位をおびやかす存在になるのは、みえみえだもん。
これも、聖徳太子さんが馬子さんの実の子どもだったなら話がわ
かるよね。
息子を摂政にして、親子で日本を支配しようとしたってことじゃ
ないかなあ。」
「なるほど。
江戸屋 猫八が長男の子猫とともに、日本の動物ものまね界を牛
耳ったようなものね。」
「いや、ちょっと違うと思うけど・・・。」
「じゃあ、松田聖子(作者注:昭和を代表するアイドル歌手。
『ぶりっこ』『ママドル』『涙なしで泣く女』などの言葉で社会
現象とさえなった女性シンガー。)と娘のサヤカの関係かな?」
「いや、それは、もっと違うと思うけど・・・。
まあ、とにかく馬子さんと聖徳太子さんは親子だって考えたら、
つじつまの合うことが多いんだ。
つまり、蝦夷さん、その人が聖徳太子として歴史に残されたんだ
と思うな。
そうしなければ、蘇我氏を滅ぼした中臣鎌足(なかとみのかまたり)
さんや中大兄(なかのおおえ)さんが悪者になっちゃうからね。」
「なるほどお・・・。」
「そうそう、あの『日いずる所の天子』って文で始まり、聖徳太子
さんが隋の皇帝に書いたと言われる手紙をしってるだろ。」
「うんうん、それは、教科書や資料集にも出てきたわ。」
「実は、あの手紙、差出人は『聖徳太子』とも『うまやど』とも書
かれていないんだ。
では誰があの手紙の差出人だったのか・・・。
隋書っていう隋の公式記録には、その差出人の名は『タリシヒコ』
だと記録されているんだ。」
「タリシヒコ?」
「そう、タリシヒコ。
でも、日本の歴史書にはそんな名前の人物は出てこない。
とすると、その名前の人物は、日本の歴史から名前を消されてるっ
てことだよ。
何らかの理由で別の名で記録されているとも考えられるよね。
この時代に隋に手紙を送るほどの力を持ち、なおかつ歴史の上か
らその本名を消された人物と言えば・・・・。」
「江戸屋 子猫・・・。」
「だから、違うって。
ごほん・・・。その人物とは、大臣、蝦夷さんがその第一候補だ
と思うんだ。」
「ふんふん・・。」
「だから僕は前回、こう推理したんだ。蘇我馬子さんの子、蝦夷さ
んの本当の名は『足子(たりし)』だって・・・。」
「えっ、そうだったの?
そこんとこ読んでなかったわ・・。
だって、あなたの文ってまわりくどいんだもん。
たいてい飛ばし読みよ。」
「・・・・。
でまあ、隋書や日本書記、古事記、その他の歴史書にもっとも詳
しかった淡海三船(おうみ の みふね)さんは、日本書記のご
まかしに気づいたんだと思う。
それで、当時の女帝に『推古』天皇、つまり、
『古きことを推理せよ。』と名付けたんだと思うんだ。」
「うーん、なんだか納得してきたぞーー。
やっぱり、私の納得力はすごいニャーオン。」
「何?
そのニャ−オンってのは・・。
ひょっとして江戸屋・・?」
僕の質問には答えずに、かみさんはこう言った。
「とにかく、わかったわ。
馬子と聖徳太子は猫八と子猫だったのね。」
春の風がふいた・・・。