「道路公団民営化」や「郵政民営化」なんか、せこい、せこい。
極論すれば、資本主義の国を、いっきに社会主義の国に変えちゃうって
いうものだもんね。
中臣鎌足(なかとみ の かまたり)さんによる
「スーパーぶっとびの大改革」である。
しかも、このスーパーぶっとび「鎌足改革」は、入鹿暗殺から、
わずか半年で実行に移された超スピード改革でもあったんだ。
半年ですよ。
半年。
「小泉改革」なんて2年もかかって、「やっと芽が出た」なんて言っ
て威張ってるんだから、いかにスピーディーであったかがわかるでしょ。
ものすごい変革、ものすごいスピード。
おそらく、「めちゃ大反対の大合唱」がおこるはず。
「オレ達の土地をかえせー!!。」
「国は、土地ドロボーだー!!。」
大地主でもある豪族達は抵抗勢力として反乱を起こす可能性だって
あったはずだよね。
けど・・・。
前回も書いたけど、これが、あまりにもあっさり教科書に書かれて
いるんだよね。
いわく・・・。
「中臣鎌足と中大兄皇子(なかの おおえのおうじ)は土地や人民
を国家が直接支配することとした(公地公民)」。
ね・・・。
なーんか、簡単にできちゃったように書いてある。
たしかに、あまりにも早くできちゃったものだから、簡単だったよ
うにみえるんだろう。
でも・・・。
そこには、政治家、中臣鎌足のねりにねった戦略があったはずだ。
後の世の僕たちに、これほどの改革をいとも簡単にやってのけたよ
うに思わせるほどの戦略が・・・。
その戦略とは何だったのか・・・。
まず、頭に置いておかなきゃいけないのが、これは「政権交代」
だったってことだ。
2003年の衆議院選挙で民主党の管さんが声をからして訴え、眠
そうな目を精一杯に開いたポスターで訴えた、あの「政権交代」です。
(ちなみに作者注:管さんのポスター・・。
まさに目をおっぴろげであった。
カメラマンから注文されて広げたものと思われるが、かなり痛かった
んじゃなかろうか・・。
いや、目じゃなく、心が・・・。
お察しいたします。)
暗殺という手段をとったものの、蘇我入鹿から中臣鎌足へのまぎれ
もない「政権交代」。
その後の運営をうまく行うには、絶対に必要な物がある。
それは、2003年の流行語大賞になるかもしれない、あれ・・・。
そう、「マニフェスト」だ。
「ええっ!そんなものが、カマちゃんの時代にあったの?」
横で読んでいた かみさんが、すっとんきょうな声をあげた。
もちろん、現代のように、書き物として公表したとは思えません。
でも、当時の有権者、つまり豪族達に対して、何らかの形で「入鹿
暗殺後の青写真・政権公約」を示したはずです。
そして、それを豪族達が受け入れた。
だって、そうでなければ、このぶっとび改革を実行できるはずがな
いもんね。
およそ900年後の「明智光秀」さんの例をみれば、明らかでしょ。
彼は、当時の最高権力者「織田信長」さんを亡き者にした。
しかし、その後の政権公約を示せなかった。
だからこそ、3日天下といわれるような短命政権で終わってしまった。
マニフェストを示せなければ、あるいは、納得してもらえなければ、
権力のイスはシンデレラの馬車のように消えてしまう。
カッコよく言えば、それが歴史の真理なのだ。
「うんうん、そうよね。そうそう。あなた、いいこと言うじゃない。
ちょっと待ってよ。
そう言えば、あなたも結婚前にいろいろ約束したわね。
あれ、「婚前マニフェスト」よね。
どうなってるの?
全然、実行できてないじゃないの。
どうしてくれるのよ。歴史の真理とかシンデレラなんて、どうで
もいいわ。
私の青春を返してよ。」
こほん・・・。
かみさんは放っておいて、カマちゃんの話を続けたいと存じます。
では、その「カマちゃんのマニフェスト」・・・。
そうだ!
ここでは、カッコ良く「カマフェスト」と呼ぼう。
きっと、政策だけでなく政治姿勢や信条がおりまぜられた物だった
に違いない。
なにせ、「暗殺」という非常手段を経ての改革だもん。
大義名分や、それにかける情熱がなければ、人々は認めない。
「カマフェスト」・・。
それは、どんな中身だったのか・・。
もちろん、それは歴史の霧の中に隠れている。
でも、歴史が隠す真実は、あくまでも霧の中なのだ。
闇の中ではない。
僕らが、当時の状況と鎌足の言動、豪族達の気持ちなどを考え、推
理という光を当てれば、それはかすかに見えてくるものだと思う。
僕はこう考えている。
「カマフェストその1」・・・。
「権力の座、独占禁止」である。
そもそも、暗殺した政敵「蘇我入鹿」さんは「おおおみ(大臣)」
という役職についていた。
誤解を恐れずに、現代風に言えかえれば「首相」だ。
で、なんと、今風に言えば「4世」議員なのだ。
くわしく言うと、ひいじいちゃんの稲目(いなめ)さん、じいちゃ
んの馬子(うまこ)さん、父ちゃんの蝦夷(えみし)さん、そして
入鹿くんだ。
しかも、その4代に渡っての「首相」独占だもんね。
蘇我の一家は、なんと100年の長きに渡って首相のイスを独占し
ていたのだ。
100年ですよ100年・・。
1世紀だもんねえ。
現代に置き換えて考えるなら、小泉さんちの一族が、日露戦争の頃
から首相を続けているよなものだもん。
そりゃあ、当時の人々は飽き飽きしていただろう。
「そろそろ、政権交代を」っていう空気があったに違いない。
でも・・。
いや、だからこそ・・・。
人々はこう思うに決まってる。
「鎌足が総理になったら、今度は中臣家が独占するんじゃないか。」
ようするに、
「自民党から民主党に変わっても、なにも変わらないんじゃないか?」
って疑うようなものだ。
こう思われてしまっては、政権交代はうまくいかない。
では、カマちゃんはどうしたか・・?
こんな約束をしたに違いない。
いや、約束をしなければ、豪族の支持を得ることはできなかったは
ずだ。
「わては、首相のイスなんか狙ってまへんで。」って。
(作者注:鎌足さんは、関西人である。
自由自在に関西弁を操ったに違いない。)
これは、状況証拠がある。
暗殺成功後のカマちゃんは大臣にさえなっていないんだ。
ちょっと説明します。
教科書なんかでは、「中臣鎌足、(後の藤原鎌足)」なんて紹介さ
れているよね。
カマちゃんは、天皇から「藤原」っていう姓と一緒に
「大織冠(たいしょっかん)」という最高の位をもらった。
だから、最高権力のイスを手に入れたなったようにも見える。
けど・・・。
実際の所、これは、見せかけなんだ。
というのも「大織冠・藤原鎌足」になったのは、なんと、カマちゃ
んが病気で死んじゃう、たった1日前のことなんだ。
明日には死んじゃうって時だもの・・。
おそらく意識なんて、ほとんどなかったんじゃないかな。
ひょっとしたら・・・。
その頃の医学のレベルを考えれば、もう死んでしまっていたかも知
れないよね。
まあ、この「藤原」姓と「大織冠」位は、病気見舞い、いや、
お葬式の花輪、もう少し言えば、戒名(かいみょう)みたいなものだ。
「入鹿暗殺の立て役者」であるカマちゃんが、その生涯を通じて、
一度も最高権力のイスに座らなかったんだ。
そして、その後200年以上、つまり、平安時代の初期まで、カマ
ちゃんの子孫「藤原の一族」は表向きの最高権力の座を独占してい
ない。
その意味で「蘇我の本家」とは、まったく違う。
これは、ある意味で非常に強いよね。
ナンバー1をあきらめた、あるいは、ねらわないという人間は、実
に強く、幅広い支持を得ることができる。
結果として最高権力のイスに座る者を上回る力を持つことさえ可能
となる。
最近の日本の歴史で言えば、たとえば、総理を辞めた後の
「田中 角栄」さん。
そして、最も多くの総理を作り上げたキングメーカー「金丸 信」
さん。
世界に目を向ければ、中国の「周恩来」さん。
ねっ。
政治的な評価は別にして、いずれも歴史を動かしたナンバー2だよ
ね。
ここまで、読んだ かみさんが、また口をはさんだ。
「ははあ、わかったわ。
あなた、ナンバー2のつもりなのね。
それで、家の中の権力を握ったつもりね。
それは大きな誤解よ。
だって、わたしがいるでしょ。そして、子ども2人でしょ。
ねっ。どう考えたって、あなたは、ナンバー4よ。
その現実がわかってるの?
あっ!違った。ごめんなさい。
キロがいるから、あなたはナンバー5よね。」
ちなみにキロとは我が家の飼い犬のことである。
まあ、いいや。
とにかく、カマフェスト1項、「権力の座、独占禁止」は多くの豪
族に受け入れられたに違いない。
では、第2項は何か・・。
それは、現代の政治家たちも使う、あの手である・・・。
というわけで、また再来週。
ではでは。
(つづく)