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  第8章  「公地公民」(4) カマフェスト(その3)
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2003年12月26日、小泉首相は自衛隊を戦地イラクへと派遣
した。
もちろん超大国アメリカからの要請に応えるためだ。

あの世のカマちゃん(中臣鎌足)は、この日本政府の対応を見て、
こう言っているに違いない。

「ほんま、なっさけない、やっちゃなあ・・。」
(何度も言うようだが、カマちゃんは正真正銘の関西人である。)

誤解しないでもらいたい。
カマちゃんは無責任な政治評論家のように語っているのではない、
彼は体験から語っているのだ。

実は、カマちゃんこそ、日本初の大規模な海外派兵をやった人間な
のである。
そして、そのやり方は、小泉さんとまったく逆の方法だった。

時は663年。
つまり、あの入鹿暗殺から18年後のことだ。
当時の超大国は「唐(とう)」。

この超大国「唐」は朝鮮半島の「新羅(しらぎ)」と連合軍を組み、
「百済(くだら)」・「高句麗(こうくり)」を攻めた。
現代の米英軍が、「イラク・アフガニスタン」に攻め込んでいる姿
を思わせるものがあるよね。

でも、それよりもはるかに重大な出来事だったんだ。
だって、その当時の日本から見れば、朝鮮半島と中国って言えば、
ほとんど世界中みたいなものだもん。
そこで大規模な戦争が起こってしまったんだ。
まさに、世界大戦・・・。
カマちゃんにとって、これこそ第1次世界大戦だったはずだ。

しかし、その対決は、あまりにも大きな力の差があった。
たとえて言えば、「ボブサップ&曙」組が「テツ&トモ」に襲いか
かったような状態だ。
(作者注:
 ボブサップさん・・・平成の世をゆるがしたアメフト出身の格闘家。
 曙さん・・・平成の世をゆるがした外国人初の横綱。
 テツ&トモさん・・・平成の世をさわがせたお笑いミュージシャン(?)。)

現代の小泉首相は「ボブ・曙」についた。
一部では「米英のいいなり」なんてことも言われている。

では、カマちゃんはどうしたか・・?
なんと、負けるとわかっている「テツ&トモ」を選んだのだ。
カマちゃんは「唐(とう)」を選ばずに「百済(くだら)」に援軍
を送った。

これ、別に「唐」と仲が悪かったからではないですよ。
いわゆる「大化改新」の前から、「唐」と日本は「遣唐使(けんと
うし)」を通じて、ずっと交流してきていたのです。
だから、唐につくこともできたはずです。

また、カマちゃんにとっての「百済(くだら)」は、ちょっとイヤ
な国でもあったんだ。
というのも、百済は当時の最新サイエンスである「仏教」の輸入元
の国だったからだ。

百済は「元祖・仏教支持者」の蘇我氏の力を増大させた国だ。
逆の言い方をすれば、カマちゃんの先祖である「元祖・神さま支持
者」の「中臣一族」を没落させた原因でもあるんだ。

けれど、カマちゃんは、あえて弱小「百済」からの援軍依頼を受けた。
そして、負けを覚悟で2万人の兵隊を朝鮮半島に送ったのです。

「唐」と組めば、勝てることはわかっている。
しかし、超大国と組むと言うことは、逆に言えば「飲み込まれる」
ことにつながるかもしれない。
これから先、ずっと「唐のいいなり」になるかもしれない。
カマちゃんは、その道は選ばなかった。

で、歴史はどう動かされたか?
もちろん、日本の大敗北。
日本は初参加した世界大戦に大惨敗をきっしたのです。

ちなみに、この戦闘を「白村江(はくすきのえ)の戦い」と呼んで
います。
太平洋戦争で言えば「ミッドウエーの海戦」みたいなものかなあ・・。

普通なら、ここで、「カマちゃん責任論」が起きて、政治生命を絶
たれるところだよね。

「なんで、百済に味方したんだ!責任をとれっ!」ってね。

ところが、ここからがカマちゃんのすごいところなんだ。

この大敗北の時、カマちゃんは「大臣」ではなかった。
彼はたくさんのポストを作り、政敵にまで重要な地位を与え、自分
は徹底的な裏役に回っていた。
だから、彼は責任をとる立場になかったのだ。
しかも、しかも・・・。
入鹿暗殺依頼の最高のパートナー「中大兄皇子」も天皇ではなかっ
たんだ。
この当時、天皇のイスは空いていたんだ。
だから天皇になろうと思えばいつでもなれたはずの中大兄・・。

しかし、カマちゃんは
「まだ、天皇にならない方がいいですよ。」と進言していた。

結果として、この敗戦時、日本には天皇という存在がいなかったんだ。
だから、天皇でない中大兄皇子は責任をとらずにすんだ。

むしろ、この大敗北をきっかけにして、日本が危機感を持ち、国と
してまとまって行ったのだ。

「天皇がいなければだめだ。
 より強い天皇を中心とした国に早く生まれ変わらねば、唐に滅ぼ
 されてしまうかも知れない・・。」
そういう世論を作り上げていったのだ。

実際に、その後すぐに中大兄皇子は天皇になる。天智天皇だね。
そして、カマちゃんは、より強い権力を持つようになっていくんだ。

カマちゃんは「負けを覚悟していた」と言うよりも「負けた方がい
い」と思って軍隊を派遣したのかも知れない。
結果としてみれば、それほどに鮮やかな敗北処理だった。

ちなみに、唐と新羅は、勝利の後、仲間割れをしてしまう。
もし、日本が唐と組んでいたら、どうなっていたことやら・・・。

「自衛隊員に犠牲者が出たらどうするんですか。」という記者の問
いかけにも、はっきり答えられなかった小泉総理。
初の世界大戦での「大敗北」の先を見越し、国内改革での「勝利」
に変えたカマちゃん。
そこに政治家としての器の違いを感じてしまうのは僕だけだろうか・・・。
もちろん、善悪を抜きにしての話だ。

そうやって、進めてきたカマフェスト。
もう一つ、大事な仕上げが残っていた。
それは、個人の土地をすべて国が取り上げてしまうというスーパー
大改革「公地公民」の正当性である。

聖徳太子が作ったとされる「冠位12階」を倍増、つまりポストを
増やし、政敵をなだめてきた。
奴隷にまで土地を与え、反乱の芽を押さえてきた。
超大国「唐」に挑み、その敗北を通し、「脅威から国を守るために
まとまる」という世論を作り上げることに成功した。
つまり、大義名分という部分での納得を豪族達から得ることはできた。

後は正当性である。
カマちゃんはこういう戦術をとった・・・。
「もともと、個人の土地なんてなかったんだ。」という思想を作る
作戦だ。

どういうことか・・。
ずばり、歴史というストーリーを作り直すということだ。
それは、いわゆる正統な歴史書としての神話を作り上げようという
計画である。

簡単にいうとこんなストーリーだ。

この日本という国は、もともと神さまがお作りになった国である。
つまり、すべては神さまの土地であり人民なのだ。
そして、その神さまの子孫こそ、天皇である。

そこで、おじゃまになったのが、それまでに存在した歴史書である。
まず、これを無くしてしまわなければ、新しい歴史書は作れないか
らね。
では、その「おじゃまな歴史書」はどこにあったか・・。

これは、はっきりと記録に残っている。

あの、蘇我蝦夷(そがの えみし)・入鹿(いるか)の親子が持っ
ていたのだ。

で、カマちゃん達が攻め滅ぼしたときに、その「おじゃまな歴史書」
が焼けてなくなっちゃったそうなんだ。
あまりにも都合良く・・・。

(作者注:
 僕はカマちゃん達が焼いちゃったんだと思ってるんだ。
 新しい権力者達は自分に都合の悪い歴史書や思想書はすぐに焼い
 ちゃうことがあるもんね。
 たとえば、秦の始皇帝さんも儒教[じゅきょう]の本をぜーんぶ集
 めて焼いちゃった。
 これを焚書坑儒[ふんしょこうじゅ]っていうよね。)

そして、カマちゃんは神話を含めた新しい歴史書を作っていく。
これは、カマちゃんの代ではできずに、じっくりと時間をかけて、
カマちゃんの子「藤原不比等(ふひと)」さんが中心となって仕
上げていくことになる。
あの有名な「古事記(こじき)」と「日本書記」だ。
ちなみに、これらの歴史書は1000年以上先の太平洋戦争にも利
用されることになるよね。

ところで、僕は、子供の頃、とても不思議だったことがあるんだ。
それは・・・。
なぜ、ヤマタイコクのヒミコさんのことが「古事記」や「日本書記」
に載っていないかってことだ。

でも、カマちゃんのことを考えていて、その秘密がわかった気がす
るんだ。

たぶん・・。
たぶん、カマちゃんにとって、400年前のヒミコさんも
「おじゃま」だったのだ。
ヒミコさんは、彼女の当時の超大国「魏(ぎ)」の臣下になった。
つまり、その当時の日本は、一部とは言え、中国の領土になってい
たようなものだよね・・。
そういうふうに「魏」の歴史書、いわゆる
「魏志倭人伝(ぎしわじんでん)」に、はっきりと書かれている。
ひょっとすると、蘇我氏が持っていた「歴史書」にもヒミコさんの
ことが書かれていたかも知れない。

でも、カマちゃんにとって、それはまずいことだったんだ。
日本が一時的でも他国の支配下にあったとなると、神話が語る
「日本は神さまが作り、子孫である天皇がずっと支配してきた」
という正当性にヒビが入っちゃうことになるからね。
で、ヒミコさんは日本の歴史から抹殺された。
結果として「ヒミコ」の「ヒ」の字も、ヤマタイコクの「ヤ」の字
も、「古事記」「日本書記」には載せられることはなかったってこ
とだ。
 

おっとっと、ずいぶん長くなりました。
歴史人物として、あまり人気のない中臣鎌足。
教科書もあっさりとしか扱っていないカマちゃん。
でも、僕は、彼こそ日本の元を作った政治家だと思っているんだ。

それでは、また次回。

えっ?今日は、かみさんは出ないのかって?
実は、かみさん、年末で忙しくて、「たの歴」につき合う暇はない
のだそうです。

ではでは、みなさん、よいお年を・・・。



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