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  第12章 「聖武と大仏の謎」(3) 「最終兵器」
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「日本は神が創った国であり、天皇は神の子孫である。」

720年に完成した日本書紀が世界中に宣言した天皇のルーツだ。

その日本書紀ができあがった4年後に即位したのが、大仏様でおな
じみの聖武天皇だ。

聖武さんは「私は仏の奴隷である。」と宣言した。

神さまの子孫が仏さまの奴隷だと宣言をしたのだ。

「おおごと」である。

だって、「神さま」より「仏さま」が偉いってことになるでしょ。

じゃあ、天皇よりお坊さんの方が偉いかもってことにもなりかねな
い。

実際に聖武さんの死後、その問題が起きてくるのだけど、
それは、また後ほどってことで。

とにかく。
これは、天皇家にとって「おおごと」なのである。

小泉さんの未加入宣言なんてぶっとびである。

たしかに、聖武さん以前にも仏教を信仰した天皇はいた。

けれども、「奴隷」とまで言い切った人は、もちろんいない。

では、考えてみよう。

国家の「おおごと」を産むものは何か?

それは、決まっている。

きっかけは、いつでも、個人の「おおごと」なのである。

では、聖武さんにとって「おおごと」はなんだったのか?

実は聖武さん、即位して3年目に息子さんができたんだ。

でも・・・。

その翌年に亡くなってしまったんだね。

この不幸が、雪だるまのごとく「おおごと」になっていくんだ。

悲しみにくれる聖武さん。

そこに、密告が入る。

「天皇様。
 実は、大変なことが・・・。」

「大変なこと?
 われは今、それどころではない。
 皇子の死より大変なことなどありはしない。」

「恐れ入ります。
 実は、その皇子様のことなのです・・。」

「皇子のこと?」

「はい。
 皇子様の突然のおかくれは、ある者の呪いによるものだと・・。」

「なんじゃと?
 み・・皇子は何者かに呪い殺されたとでも申すのか?」

「はい。
 残念なことですが、おおせの通りでござりまする。」

「ぐう・・。
 だ、だれじゃ。
 われの宝、皇子を呪うたというのは、どこのだれじゃ。」

「かしこまって申し上げまする。
 その神をも怖れぬ、おぞましき者は・・・。」

「ええいっ。
 口をつぐむでない。
 言うのじゃ。
 その者の名をわれの耳に焼き付けねばならぬ。
 申せ。今すぐに申せ。」

「ははっ。
 申し上げまする。
 その者は・・・。
 その者は、な・・長屋王(ながやおう)にござりまする。」

長屋王・・・。

その名からもわかるように、彼は天皇家の血をひく、
当時の左大臣、つまり、朝廷のトップでもあった。

そして、彼には敵がいた。

あの中臣鎌足(なかとみのかまたり)さんの子孫、藤原氏である。

当然、この密告はライバルを蹴落とそうという藤原氏の陰謀だった。

聖武さんは、この密告を信じてしまう。

何せ、聖武さんのお母さんは鎌足さんの孫だし、きさきも鎌足さん
の孫なのだ。

現代の感覚からいくと、なんだか、ちょっとわかりにくいけど。

とにかく、聖武さん自身が「かくれ藤原氏」とも言えるよね。

結局、長屋王は無実の罪で自殺に追い込まれてしまったんだ。

この当時は「呪い」が立派な殺人の方法になっていたんだね。

余談だけど・・。

平城京の遺跡からは薄い板を人の形に切り取った物が多く見つかっ
ているんだ。

中には、目や胸に釘を打ち込んだ物まである。

つまり、「呪い」のためにも用いられていたんだ。

こういうことが、一般的に広がっていたのだから、なんか、怖いよ
ねえ。

長屋王の自殺。

それが、さらに「おおごと」を産む。

まず、すさまじいばかりの日照りがつづき、飢饉におそわれた。
そして、大地震。
そのうえ、九州からの伝染病(天然痘)大流行だ。
死に至る、おそるべき天然痘が奈良の都に迫りつつあった。

聖武さんは、どう考えたか・・・。

そう、自分が死に追いやった「長屋王のたたり」だと考えた。

おびえた。ふるえた。

しかし、ひるむわけにはいかなかった。

天皇は神の子孫だ。

当然、神にすがった。

祈っただろう。命がけで祈ったであろう。

また・・。
おばあちゃん(元明天皇)が造った平城京は、それまでの都と違い、
4つの神(玄武・白虎・朱雀・蒼龍)に守られた都だ。

ガードは堅い。

また、最高の味方である藤原氏は、もともと中臣氏。
つまり、神と人との「中」に立つ役割をになった一族である。

聖武さんは神に囲まれ、包まれていたのだ。

神は、雨を降らせ、地震をおさめ、天然痘から都を守る。

はずであった・・・。

しかし、病はあっと言う間に平城京を襲った。

その上、なんと・・・。

あの藤原氏が・・・。

当時、4人兄弟で政治をあやつっていた4人がそろって、天然痘の
犠牲になったのだ。

ここからは、僕の推理だ。

聖武さんは、この時点で、神をみかぎった。

神は頼りにならない。

少なくとも長屋王の怨念にはかなわない。

いや、もしかすると、神が長屋王に味方したのかも知れない。

だとすると、次に殺されるのは自分だ。

こと、ここいたっては、仏にすがるしかない。

彼は仏の奴隷となることを誓い、死から逃れようとした。

おそらく、当時の日本の仏教は、現在とは大きく違っていたはずだ。

聖徳太子は、自身が参加した戦争の勝利を仏に祈り、勝たせてくれ
たら寺を建てると約束した。

つまり、闘う仏教という色合いを持っていた。

長屋王の怨念と闘うための仏教。

だからこそ、仏にすがったのだ。

そして、神に守られた平城京を捨てた。

実際に彼は、都を捨て、5年間放浪の旅に出ている。
また、その後も、歴史上、例をみないほど何度も都を移し替えてい
る。

そして、彼は全国に命令をする。

仏のために国分寺・国分尼寺を建てよと。

これこそ、まさしく仏のネットワークである。

どこへ逃げても、仏に守られることができるのだ。

国分寺は自身のために、そして国分尼寺はきさきのためだったのか
もしれない。

しかし、いつまでも、さまよい続けるわけにはいかない。

彼は、大仏の建立を決意する。

日本中の銅を使い果たしてもよい。大仏を造れと命令する。

地球上のどこにもない、最大の金属製仏像であるというだけでなく、
なんと、表面を金で塗り固めた超豪華な最新技術の大仏だ。

金属は怨念の武器である火に強く、くちることもない。
また、金はさびることすらない。
最強のハイテク仏像なのだ。

彼は、大仏の建立が軌道にのった後、やっと平城京に戻ってくる。

聖武さんにとっての大仏とは何だったのか。

教科書にはこう書いてある。

**********************************
深く仏教を信じた聖武天皇は、仏教の力で国を守ろうと考え、国ご
とに国分寺を建てた。
また、都には東大寺を建て、多くの人々の労力を集めて金銅の大仏
をつくった。
**********************************

はたして、そうだろうか・・?

僕は、そう思わない。

大仏は長屋王の怨念と闘う聖武さんの最終兵器だった。

そう思っている。

・・・。

「ただいまあ。」

あっ。
我が家の最終兵器、かみさんが、やっと帰ってきた。

というわけで、今日はかみさんの出番はありませんでした。

おわり。

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