手紙は、こう続いていた。
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なぜ、ただの伝言係に過ぎない和気清麻呂(わけの きよまろ)
さんが罰せられたのでしょうか。
ほしのメモの(7)にもあるように、歴史はこう伝えています。
『称徳(しょうとく)女帝は道鏡(どうきょう)を天皇にした
かった。
しかし、和気清麻呂(わけの きよまろ)が持って帰った新
しいお告げは、それを認めない物だった。
怒った称徳は和気清麻呂(わけの きよまろ)を罰した。』
・・・。
つまり、「やつあたり」だったというのです。
多くの歴史家は、それを認めています。
私たちも最初は「やつあたり」だと思っていました。
でも、
こんなことが、あり得るでしょうか?
それほど、道鏡さんを天皇にしたかったのなら、なにも最初のお
告げを確かめに行かせる必要はないはずです。
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そりゃそうだなあ。
と僕がうなづいていると、かみさんも同意した。
「そうよねえ。
『不幸の手紙』を配達してきた郵便屋さんをどなるような
ものだもんね。
郵便屋さんも、たまったものじゃないわ。
あっ。」
「どうしたの?」
「今、考えついたの。
郵便屋さんが怒られるのは、ハガキをなくしたり届け忘れた時よ。
なにか、ヒントにならない?」
「あっ。そうだよ。そうだよ。」
僕は、少し興奮した。
歴史の重い扉が開きかけた気がしたからだ。
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私たちは考えました。
和気清麻呂(わけの きよまろ)さんに、伝言係として罰せられ
てもしかたがないような落ち度があったのではないかと・・。
だからこそ、称徳さんは罰した。
そして、皆もその罰に納得した。
では、その落ち度とは何か?
歴史に記されているわけではありません。
しかし、ごく普通に考えると、わかってきたのです。
順に考えていきます。
まず。
称徳さんが最初のお告げを確かめに行かせたのはなぜでしょうか。
この理由は簡単に推測できます。
お告げに裏付けがなかったからです。
言葉を換えれば、証文(しょうもん)、つまり、宇佐神宮の証明
書がなかったからだと考えられます。
もし、証文付きのお告げなら、すぐに本物だと認められたはずで
す。
お告げ通り道鏡を天皇にするかどうかは別問題としても、真偽を
確かめに行く必要がない。
お告げは口頭で報告されていたのです。
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「うんうん。経験あるなあ。」
とかみさんが言った。
「経験って?」
「あのね、子どもの頃ってさ。
宿題忘れて、言い訳するわよね。
『昨日、熱が出て、宿題出来ませんでした。』って。
そしたらさ、先生が言うわけ。
『信用できません。
お家の人に連絡帳に書いてもらいなさい。ハンコもね。』
いやねえ。センセって。
あなたって、そんな教師だったでしょ。」
どきっ。
「結局、そういうことでしょ。
これ・・・。
口だけでは信用できないってことでしょ。」
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ですから、称徳さんは和気清麻呂(わけの きよまろ)さんに、
こう指示をしたはずです。
『お告げの真偽を確かめてきなさい。
そのために、証文をもらってきなさい。』
いくら口頭でお告げをもらっても、それは裏付けをもたないので
すから、意味がない。
これは当然です。
ところが・・。
ところが、清麻呂(きよまろ)さんは証文を持って帰らなかった。
そして、口頭でお告げを報告した。
『道鏡をを天皇としてはいけない。
天皇家の血を引く者のみが天皇とならねばならない。』と。
称徳にしてみれば、これは赤子(あかご)の使いです。
いくら、口で言われても、裏付けがないものを認めるわけにはい
きません。
内容は最初のお告げとまったく逆だし、どちらが真実かはわから
ないわけです。
結局、清麻呂(きよまろ)さんは「真偽を確かめる」という任務
を遂行できなかったことになります。
それゆえに、罰せられた。
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うんうん。
これは、納得だ。
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では、なぜ、清麻呂(きよまろ)さんは証文を持って帰らなかっ
たのか。
3つの場合が考えられます。
(1)証文をなくした。
(2)証文を隠した。
(3)宇佐神宮から証文をもらえなかった。
1つずつ考えてみます。
まず、(1)の「なくした」です。
これは、あり得ません。
それは、清麻呂(きよまろ)さんの罰が軽すぎるからです。
清麻呂(きよまろ)さんは、島流しになっただけで終わっている
んです。
しかも、後に復権しています。
国家の一大事に関わる最高文書をなくしたとすれば、これは、
重罪です。
うっかりでは、すみません。
そんな、どうしようもない役人が復権するはずがない。
もちろん、旅の途中で盗まれた場合も同じです。
ですから、「なくした」はあり得ない。
次に(2)の「隠した」です。
これも、あり得ません。
なぜなら、清麻呂(きよまろ)さんは、称徳さんに対して
「隠しました。」
とは報告できないからです。
当然、「盗まれた」あるいは「なくした」と報告します。
ですから(1)の理由と同じであり得ないのです。
となると、残るは(3)。
つまり、宇佐神宮は証文を発行しなかったということになるので
す。
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「ええっ。
いったいなぜなの?」
かみさんは声を上げた。
「結局、宇佐神宮は道鏡を天皇にしたかったの?
それとも、したくなかったの?
この推理、おかしいわよ。
ぜったい、おかしいわ。」
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この事件を通じて得をしたのは誰か。
私たちホークス事務所は、それは藤原氏だと考えました。
最初は・・・。
しかし、今まで見てきたように、道鏡が天皇になるかならないか
は、本当に運命のいたずらだったのです。
どう転ぶかわからない。
神のみぞ知る結末だったのです。
だから、どう転んでも得をする者、それがこのミステリーの主役
だったはずです。
そんな人がいるのでしょうか。
結論を言いましょう。
いたのです。
どう転んでも得をする「者」が・・・。
そのヒントを、私たちの手紙の最初に書きました。
ホークスがイラク人に変装したことについてです。
『生まれ変わりがキーワードだ』と。
『生まれ変わり』・・。
それは、まさしく仏教の教えです。
生命は何度も生まれ変わる。
お釈迦様でさえ、前世にはウサギだったこともある。
仏でさえ生まれ変わることがある。
この教えをうまく利用して、道鏡事件の主役たりえた「者」がい
たのです。
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ホークスさんのあのふざけた変装・・。
意味があったんだ・・・。
僕らは生つばを飲み込んだ・・・。
(「下の下の下」につづく)
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近日発信の次号にもおつき合いあれ。
まだ続くの?
という多くのご批判を胸に、たの歴は歩みます。
ではでは。