軽快な、おはやし。
舞台右そでの、今めくられたばかりの演題紙には、こう書かれてい
る。
「演目『泣くよ、父さん。』 はいつ亭でこ助」
小太りな男が、ぴょこぴょこと登場し、真ん中のえんじ色の座布団
に座り、深々と頭を下げた。
妙なことに、左足を投げ出している。
拍手。
「たくさんのお運び、まことにありがとうございます。
お初にお目にかかります、『はいつ亭でこ助』でございます。
今日は、ごゆるりとおつきあい下さいませ。」
でこ助、かん高い声で話し始める。
「さて、のっけから、皆々様にひとつお断りをせねばなりません。
ご覧の通り、このでこ助、ご無礼を承知で足を投げ出しておりま
す。
実は、捻挫(ねんざ)を致しましてな。
にっくきは、温泉センターのやつでございます。」
ざわざわ。
「ちょいと、ご説明いたします。
数ある風呂の中でも、あたし、『打たせ湯』のファンでございま
す。
その日もザザザと気持ちよく打たれておりますと、なんのひょう
しか、湯が耳の穴に侵入してきましてな。
まあ、よくあることでもありますし、ほおっておきました。
しかし、服を着た後にも、まだ耳の奥深くでチャポチャポと音が
します。
これは、ちと気持ちが悪うございます。
なんとか水を出そうと、フロントにむかう赤じゅうたんの上を
『片足けんけん』で懸命にがんばって進みますと、階段にさしか
かりました。
この温泉センター、2階がお風呂、1階がフロントという造りで
ございましてね。
私、ひらめきました。
この『けんけん』のまま階段を降りれば、落差が味方して水が出
やすかろう、さだまさしく一石二鳥。
おのれの発想にうっとりですな・・。」
でこ助、ふうとため息。
「あげくが、この有様でございます。
全治3週間の捻挫。
天が、あたしの才能にやきもちを焼いたのでございましょう。
みなさま、くれぐれも、温泉センターにはお気をつけください。
まことに、残念な捻挫でございました。
上から読んでも『ざんねんねんざ』。
下から読んでも『ざんねんねんざ』。
いやはや、ひどい目に会いました。」
くすくす。
「ひどいと言えば、あの台風17,18号。
ひどかったですねえ。
実にひどかった。
前代未聞の暴れん坊のくせに、けっこう律義な台風でしてね。
気象庁の予測通りに進んできちまいました。
おかげで直撃ですわ。九州。
しかし、なんだ。
もっと、別の進路予想ができないもんですかね。
くるりとユーターンして、南極に向かうとかね。
さすれば、あの律義な台風のこと。
がんばって、その方向に進んだに違いありません。
気が利かない気象庁を持つと国民が苦労します。」
くすくす。
「さて、その台風迫りし頃。
あたし、姉妹誌『今日のいきぬき』のいまむら氏にこう言いまし
た。
『いまむらさん、台風、よけてくれませんかね。』
すると、いまむら氏、答えていわく。
『そりゃあ無理です。よけるなら九州がよけなくっちゃ。』
妙に納得しましたよ、あたしゃ。」
くすくす。
せんすでパチリとおでこを叩くでこ助。
「しかし、この言葉。
形を変えて実行してしまったお方がおります。
奈良時代・・。
都には台風が吹き荒れておりました。
いえ、いえ、本物の台風ではありません。
そう、言うなれば、『坊さん台風』。
聖武天皇は『私は仏教の奴隷だ。』と言い、大仏を造り、寺を建
てまくり。
その娘の称徳天皇は坊さんの道鏡を『法王』にまでしちゃって、
天皇をねらえるほどの権力を与えてしまいました。
さだまさしく奈良の都は『坊さん天国』。
政治は『坊さん台風』のまっただ中でございます。
そして、称徳さんの後任は『光仁(こうにん)天皇』。
なんか、あたしのだじゃれみたいですが、これ、ホントの話。」
くすくす。
「後任の光仁さん。なんと60過ぎのおじいさん。
当時なら、もう、いつおかくれになってもおかしくない年齢。
これじゃあ、心の底からの公認なんか誰もしやしません。
それでも11年もがんばりました。
で、781年ついに降任。
後任の光仁さん、公認されずにとうとう降任。
舌、こんがらがっちゃいますよ、あたしゃ。」
くすくす。
「その後、登場したのが、ほれ、あの有名な桓武(かんむ)さん。
光仁さんの息子さんですな。
この人がやっちゃったんです。
『坊さん台風がよけてくれないなら、都がよけちゃえ。』
てなわけで、あの永遠なる奈良の都、平城京(へいじょうきょう)
を捨てちゃうんです。
で、造ったのが京都の『長岡京(ながおかきょう)』。
さあ、これから出直しだって矢先。
たったの10年で、たたりがあるとか言いだして、また都を移し
ちゃった。
なんとも身勝手。
引っ越しにつきあわせられる人々はたまったものじゃない。
光仁さん、放任で育てたんでしょうな。」
くすっ。
「で、できあがった都。
みなさん、よくご存じ。
『泣くよ(794年) 坊さん 平安京』ですな。
『坊さん台風』、つまりお寺を閉め出しました。
まさに、坊さんを泣かせちまった。
場合によっちゃあ、
『鳴くよ ウグイス 平安京』って覚えてる人もいませんか?
ウグイスなら、平安京じゃなくたって、どこでも鳴きます。
『鳴くよ ウグイス ほーほけきょう』ってね。」
くすくす。
「ここは、やはり
『泣くよ 坊さん 平安京』で行くのが正統派ですな。
ちなみに、泣いたのは坊さんだけではありません。
桓武さん、もともと血筋的には天皇位からは遠い存在だったんで
すな。
それで、かなり無理をしたのでしょう。
対抗勢力になりそうな貴族や、自分の弟をはじめとする親戚まで、
次々とワナにはめ、処分していったそうなんです。
どれだけの人が泣かされたのか見当もつきません。
それでまあ、都は怨霊(おんりょう)だらけ。
桓武さんも自分が怨霊になれば感動できたのにね。
感無量(かんむりょう)ってね。」
・・・。
「おや。受けませんな。
もう、みなさん、おかんむり。うししし。」
・・・。
少数の客があくび。
「こほん。
先に進めます。
桓武さん、まだまだ泣かせます。
坂上田村麻呂(さかのうえの たむらまろ)なんてえ、
いったいどこが名字なんだか名前なんだかわかんない人を
征夷大将軍(せいい たいしょうぐん)にしましてね。
東北地方まで攻め込みます。
アテルイさんという人のもと、アカルイ生活をしていた人達を支
配下に収めます。」
・・・。
何人かの客が席を立つ。
まずいなと思うでこ助、汗をふく。
「これだけ、泣かせると、やっぱり、まずいことも起こります。
『坊さん台風』はなんとかできたましたが、ホントの台風はバン
バンやってくる。天気予報がないから、いきなりやってきます。
天変地異が重なります。
あげくのはてに、なんと、なんと富士山の大爆発。
平安京ができて6年後、西暦800年のことです。
どっかーんとやっちゃった。
かみさんはしょっちゅう爆発してますが、富士山だから、たまっ
たもんじゃない。」
・・・。
「都は当時の最高学問『風水学』で守られた平安京。
だのに、まったく効果なし。
お試し期間なら返品したいところだが、そうはいかない桓武さん。
最初に泣いたのは坊さんだけど、最後に泣くのは桓武さん本人か。
『泣くよ 桓武 平安京』
こりゃ、あかん、無理でした。」
・・・。
「あれ?
岩下さん無反応?
これ、しゃれですよ。しゃれ。
『あかん、むりでした。』ってのは、しゃれなんだってば。
『あ・かんむ・りでした。』
ね。」
・・・・。
ますます墓穴をほる、でこ助。
(ふんっ。
今日の客は風流ってものがわかってねえな。)と思うでこ助。
「こほん・・。
やっぱり、仏教なしではだめなのか・・。
かと言って、以前のように政治に口出しするよな坊さんは、もう
ゴメン。
ならば、ならば、と桓武さん。
新しい仏教を創ろうとする坊さんを応援しようと考えた。
今までの仏教に嫌気のさした坊さんはいないのか。
必死でさがす桓武さん。
いました、いました。
歴史はちゃんと必要なときに必要な人を用意してるもんだ。
平安京の東北、鬼門(きもん)の方角にある比叡山(ひえいざん)。
ここに、新しい仏教の担い手(にないて)となる最澄(さいちょう)
さんがいた。
桓武さんは最澄さんを徹底的に保護します。
国費で唐に送り、仏教を学ばせます。
で、できあがった天台宗。
ちなみに、この時、同じ船に私費をはたいて乗り込み、
唐に渡ったのが若き日の空海(くうかい)さん。
仏教界を代表する2人が同じ船だったてえのは因縁だね。
空海さん、最澄さんとどんな話したんだろう。
おやつを差し出して、『これ、くうかい?』なんてね。」
ざわざわ。
(言うと思ってたんだ。)というヒソヒソ声。
「最澄さん、
『うまい、うまい。これ、さいちょう。』なんて・・』
ため息、多数。
あせる、でこ助。
「でまあ、最澄さんとこの比叡山で修行したお坊さんの中から、
その後の仏教界をになう人達がでてきやす。
いわゆる鎌倉・新仏教の方々です。
法然(ほうねん)、親鸞(しんらん)、日蓮(にちれん)、
栄西(えいざい)、道元(どうげん)などなど・・。
そうそうたるオールスターメンバーですな。
坊さん泣かせの桓武さんが、たくさんの坊さんスターを生むこと
になったわけです。
これだから、歴史はおもしろい。
あたしの落語はもっとおもしろい。」
水を打ったように、しずまる会場。
(ようし。最後の落ちで決めてやれ。)と思うでこ助。
「おや、お時間が来てしまいました。
みなさん、楽しんでいただけましたかな。
ここからじゃ、みなさんの満足そうな顔がよく見えません。
年齢(とし)のせいか、目がかすみます。
メガネ買わなきゃだめかもしれません。
この不景気に、また出費。
とほほ。
さだまさしく、
『泣くよ 父さん 老眼鏡。』
お後がよろしいようで・・・。」
テンテンテンテン・テケツクテン・テケツクテン。
軽快な、おはやし。
深く静まる場内。
でこ助、立ち上がる。
汗。汗。汗。
つるりとすべる、足。
もんどりうって転ぶ、でこ助。
ぐきりと鈍い音。
ぎゃあと悲鳴。
右足、捻挫。全治3週間追加。
おわり。