「院政をなめたらあかんぜよ。」
僕は文字を大にして書きたい。
できれば、岩下志麻(*注1)さんにも一緒にすごんでもらいたい。
もういっかい書くぞ。
「院政をなめたらあかんぜよ。」
みなさん、『院政』、好きですか?
『院政』・・。
それは、引退した天皇が『太上天皇(だじょうてんのう)』となっ
て行った政治のシステムである。
摂関(せっかん)政治と武家政治のはざまに生まれた日本独特のシ
ステムだ。
その『院政』が、かなり不当な扱いをされている。
僕はそう思うのだ。
かみさんに聞いてみた。
かみさんは、更年期特有のかったるい口調でこう言った。
「院政?
なんかイヤねえ。
権力を手放せない年寄りの悪あがき・・。
老害って感じ。」
のっけから、これである。
いや、かみさんだけではない。
マスコミも『院政』という言葉を悪いイメージで使うことが多い。
最近も、しばしば、そういう報道を目にしてきた。
たとえば、
「NHKの元会長、院政にむけての布陣。」
「巨人軍オーナー、辞任後も院政をもくろむ。」
「西武王国、次は院政支配か?」
などなどだ。
『院政』=悪。のイメージをマスコミがこぞって撒き散らしている
のだ。
こんなことで、いいのか!!
「別にいいんじゃないの。(かみさん談)」
こほん・・。
まあ、そう言えばそうだ。
別にいい。
でもまあ、話を続けよう。
かみさん、マスコミとくれば、次は教科書である。
まず、小学校の歴史教科書。
これには『院政』の『い』の字も出てこない。
まったくの無視である。
ひどい話だ。
次に、中学校の歴史教科書。
さすがに無視はしていないが、すずめの涙ほどだ。
手元にある教科書(教育出版社)でも、実にあっさりしている。
ちょっと引用させてもらおう。
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11世紀の中ごろ、都では、藤原氏との関係のうすい後三条天皇が位
につき、藤原氏から政治の実権を取り戻そうとして、荘園の整理な
どに努めた。
次の白河天皇は、位をゆずり上皇になった後も、政治に勢いをふるっ
た。
上皇の住む所を院とよんだので、その政治を院政という。
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とまあ、こんなものである。
ようするに、後三条天皇の母が藤原一族でなかったために、摂関政
治の力が衰えた、というのだ。
ぐぐぐぐ。
これは、『摂関政治』をも、なめているとしかいいようがない。
呼ぶぞ、岩下って感じだ。
これまで、この『たの歴』でも見てきたように・・。
藤原氏が創り上げた摂関システムは、ある天皇の母がたまたま一族
の人間でなかったくらいのことで、ぐらつくようなシステムではな
い。
百歩ゆずろう。
かりにそうだったとして、ならば、他の一族の誰かが摂政の地位に
つくはずだ。
いや、天皇家が摂政の地位を取り戻してもいい。
そうはならずに、なぜに『院政』なのか。
それに、院政を始めた白河天皇の母は、なんと藤原氏なのだ。
ついでに言えば、その白河天皇も藤原家の娘と結婚している。
母ちゃんもかみさんも藤原氏なのだ。
つまり・・である。
「元祖・ミスター院政」白河上皇は藤原の血縁にどっぷりとつかって
いたのだ。
ね。
血縁の薄れが院政を生んだかのような教科書の記述はちょっとへん
てこでしょ。
「へえ。
白河上皇って、そんなに藤原っぽかったの。
知らなかったなあ・・。
なんかさ、藤原氏とは無関係の人だと思ってたわ。(かみさん談)」
おっ。いい感じ。
がんばっていくぞおっ。
このように、しいたげられている『院政』・・。
しかし、僕に言わせれば、日本史上初の大革命なのだ。
「革命?
院政があ??
それって、言い過ぎよお。
だってさ、なんかさ。『院政』ってさ。
年表の中にちょろっと顔を出してるだけって感じだもん。
脇役も脇役。
出ても出なくってもいいって役どころ。
『うっかりはちべえ(*注2)』にも負けてるって。
へたをすれば、サブリミナルみたいなものよ。
誰も気づかないわ。(かみさん談)」
うーむ・・。
ちょっと考えてもらいたい。
たしかに、それまでも革命らしきものはあった。
蘇我入鹿(そがの いるか)の暗殺から始まった大化の改新。
皇位を武力によって奪った天武(てんむ)天皇。
平城京という永遠の都を造り、貨幣経済を創ろうとした元明女帝。
僧の道鏡を天皇にしようとした宇佐八幡事件。
荘園という概念を創り、摂関政治システムを行った藤原氏・・。
このように旧体制を改革しようとした動きはたくさん存在してきた。
しかし・・。
しかし、これらはすべて、『朝廷』の中で政治を行うものだった。
武力によろうとも策略によろうとも、とにかく『朝廷』こそが政治
の中心だったのだ。
大和朝廷成立以来、それが不変の政治システムだった。
現代に置き換えてみれば、自民党が政権をになおうとも、民主党がに
なおうとも、しょせん国会が政治の中心であることに変わりはない。
いかに劇的であろうとも、そういう改革、政権交代にすぎないのだ。
では、『院政』はどうか・・。
ずばり言おう。
『院政』は違うぞ。
だから、言いたいんだ。
「院政を、なめたらあかんぜよ。」
『院政』は、歴史上初めて、政治の中心を天皇の「朝廷」から、
上皇のすむ「院」へと移すという離れワザをやってのけた。
つまり、院が朝廷より上の存在として君臨したのだ。
これは、まさしく革命である。
普通なら、暗殺、内乱、戦争となってもおかしくないところだよね。
その革命が、あまりにもすんなりと成功してしまった。
それゆえに、教科書さえも無視するほどの扱いになってしまったの
だろう。
では、なぜ、この院政という革命が無風のまま行われたのだろうか。
理由はひとつ。
一言で言えば、時代が圧倒的にそれを望んだからだ。
現代では忌み嫌われる院政。
かみさんも、マスコミも、教科書も、ぼろくそに扱う院政。
しかし、平安末期の日本はそれを必要としたのだ。
それまでとはまったく違う革命的な政治システム、『院政』。
当時の人々は、大きく、そして新鮮な期待をこめて見つめていただ
ろう。
摂関政治のいきづまりを打開するニューヒーローとして院政は生ま
れたはずだ。
「そう言えばさあ。
上皇って、太上天皇の略語なんでしょ。
松平健をマツケンって呼ぶようなものよね。
すごいじゃん、上皇。
院政も捨てたもんじゃないって気がしてきたわ。
そうだっ!
いいこと考えたわ。
ネーミングを変えるの。
これからは、院政なんて陰気くさい呼び方をやめて、
『イン様』と呼ぶのよ。
平安のイン様よ。(かみさん談)」
い・・イン様・・・。
こほん・・。
とまあ、そういうわけで、次回から平安のイン様が生まれてきた背
景をぐりぐりさぐります。
そうそう。
その中で、僕はある発見をしたんだ。
ほんの短い期間しか力を持てなかったイン様だったけど・・。
実は院政こそが、日本を救った救世主だったってことだ。
次回を読めば、
あなたもイン様にめろめろだぞお。
ではでは、次回。
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(*注1)岩下志麻。
・・昭和が生んだ大女優。
口元でしか笑わない。目は常に平静をキープ。
極道の妻を演じさせたら、天下一品。
また『象印夫人』を演じても右に出るものはいない。
シリアスからギャグまでと幅広い芸風をお持ちの方だ。
(*注2)うっかりはちべえ。
・・昭和が生んだ名TV番組「水戸黄門」に出てくる脇役。
風車のやしちの子分。
うっかりの上に大食い。僕が大好きな役どころである。