『とうちゃん様々』
天皇のじいちゃんが始めた摂関政治。
外国からの脅威がなくなった、のほほんとした世の中では、立派に機能したシステムだった。
歌を作り、詠む。 美を恋を平和を歌う。
極端に言えば、それでよかった。
儀式をとりおこなうことが大きな政治課題であり、それには、じいちゃんの経験が役に立つ。
「この世をば、我が世とぞ思う・・。」 なんて歌った『ミスター摂政』藤原道長は、なんと、50歳でやっと摂政の位についたんだ。
当時の50歳だから、そりゃあ、高齢だ。
現代とは訳が違う。
ずうっと後の信長でさえ「人生50年」と思ってたくらいだもんね。
しかし、高齢だからこそ、伝統に強い。
あっ!思いついた。 「恒例は、高齢にまかせろ。」
コホン・・。
のほほんの時代に花開いた、じいちゃん政治。
それが、摂関政治の本質だ。
でも、そんな世の中は続かない。
力をつけてきた海外からの脅威が、ひしひしと感じられるようになってくる。
実際に日本は侵略の的にされ始める。
一方で、じいちゃんたちは老いてくる。
じいちゃんの経験では、対処できないことが起きてくる。
また、攻めて来られたら、どうする?
歌うだけでは、敵を追い返せない。
不安な毎日が多くなる。
すると、どうなるか?
じいちゃんたちの興味は「この世をば・・」から「あの世をば・・」になってくる。
「この世は終わりだ」って末法思想が広がる。
じいちゃんたちは「あの世」にかける、お寺を造り始める。
ある種の逃避行動だ。
でも、不安な時代は終わらない。
農民の間にも不安が広がり、世の中に略奪が横行する。
略奪のためには、武力が必要だ。
いわゆる武装勢力ができてくる。
当然、殺伐とする。
農民は、貴族たちのように「あの世をば」ってわけにはいかない。
略奪から我が身を守るため、やはり、武力が必要になる。
武装勢力の争いが日常化する。
いわゆる「武士の起こり」だ。
律令制度が想定していなかった世の中の出現だ。
経験よりも武力に通じる者が権威を握っていく。
それは、誰か?
もちろん、じいちゃんではない。
父ちゃんである。
父ちゃん様々である。
そんな世の中が産声をあげたのだ。
どんな権力者も、世の中と無縁ではいられない。
権力者が世の中を作るのではなく、世の中が権力者を生むのだから。
とうちゃん様々の世の中。
では、天皇の父ちゃんは誰か?
そう、太上天皇。
略して言えば「上皇」である。
(つづく)