1,土着の縄文人と、渡来系の弥生人が闘った痕跡としては、
大阪湾及び、(旧)河内湖沿岸一帯に多いようですが、
神奈川県の中里遺跡に代表されるように、ある時期を境として、
比較的、平和的に両者の文化が融合していったという説も
あります。日本人は、文化の吸収力が非常に高く、
先進的な技術を積極的に取り入れていったと考えられています。
2,縄文時代は、火炎土器に代表される独特の文様のある土器が
有名ですが、大変薄い素材で、動物の毛皮の繊維を粘土に
加えて加工した、技術的に高度な薄い土器も多く存在しています。
それらは、どんぐりや、栃の実のあく抜き用の土器として、
実用的に使用されたという説が有力です。
中学校教諭