蘇我一族の名前についてのはいつさんのご意見に触発
されてちょっと書いてみました。
「馬子」「蝦夷」「入鹿」の名前から蘇我氏の歴史に
はいつさんは斬りこんでいます。この方法はとても面白
いのだけど、その前提になるこの三つの名前について
「どうしてこんなおかしな名前をつけたの?」というは
いつさんの疑問に一言。
「おかしな」という疑問の裏側には、「馬なんてあり
きたりの名前」「蝦夷なんて野蛮人の名前じゃん」「な
んでイルカなの。ただの動物でしょ。」という、「馬」
「蝦夷」「イルカ」についてのマイナスのイメージがあ
ると思います。
でも、古代の「日本人」にとってこの三つはもっと
違った意味があったと思います。
第1に「馬」
馬は三国志魏志倭人の条にも、倭には馬は産しないと
書かれており、もともと日本列島に存在しなかった動物
です。ではいつごろどうやって入ってきたか。歴史学の
定説では古墳時代に「大和朝廷」が朝鮮半島に進出した
時に、かの地の文化として移入したと。でもこれには異
説があって、この時期に大量の渡来人が来て、その人々
は「騎馬民族」だったから、倭にも馬が飼われるように
なったと。僕はこちらの説の方が正しいのではないかと
考えています。
朝鮮の高句麗や百済の国そして任那(安羅とか安耶と
も言いました)を構成していた加耶や大加耶の支配民族
は確かに騎馬民族です。そして平安初期の日本には高句
麗や百済や安耶の貴族や王族出身と名乗る貴族がたくさ
んおり、この人々の一部は軍事貴族となって東北地方の
蝦夷との戦いに投入されました。有名な坂上田村麻呂は
「東漢氏(やまとのあやし)」の一族で「あや」からの
渡来人。なぜ彼が蝦夷との戦いの大将軍になったかとい
うと、蝦夷は騎馬で戦闘する民族ですが、大和朝廷を構
成している多くの氏族は「歩兵集団」で戦いますので、
蝦夷の騎馬軍団には歯が立たないのでした。そこで朝廷
は安耶からの渡来氏族で重装騎兵集団を率いる坂上氏を
抜擢したわけです。
蘇我氏の時代よりも二百年後の話ですが、この時代の
日本の人々にとっては「馬」は戦車なのですよ。時代の
トップを行く重要な武器。そしてこれは蘇我さんの時代
も同じだと思うのです。
始めて「馬」を見た日本の人々はどう思ったでしょ
う。後の話ですが、16世紀にスペインによって征服さ
れた南米のインカの人々は始めて『馬』をみてびっくり
したそうな。インカにはリャマというロバくらいの小さ
な動物しかいませんでした。そこにアラブ馬系の大きな
馬。地響きをたてて走り土煙をたてて疾走する巨大な動
物。その動物の背に乗って走りまわるスペイン人を、イ
ンカの人々は神だと思ったそうです。
日本でも同じだったのでは。
馬子の馬は、そんな不思議な力を持った動物にあや
かってつけられた名なのではないでしょうか。
その2に「蝦夷」
蝦夷は日本書紀を読むと野蛮人というイメージで書か
れています。でも当時の日本、正確には大和に都を置い
た朝廷にとって蝦夷とは、手強い相手。何度も戦っても
勝てない相手だったのです。なぜなら蝦夷の方が文化水
準が上だから。具体的には豊かな金と製鉄技術なので
す。蝦夷の製鉄技術は進んでおり、大量の鉄をつくり、
その純度の高い鉄で優れた武器をつくっていた。彼らは
騎兵ですが、大和の渡来人の重装騎兵のように馬も人も
分厚い鉄の兜や鎧で武装するのではなく、皮でできた軽
い鎧兜をつけて、馬上でも切りあいができるように、手
元の部分から湾曲した良く切れる刀をもち、短い強い弓
で攻撃する軽装騎兵集団でした。後の時代のモンゴルの
軽装騎兵と同じです。
だから歩兵を基本とする大和の軍がなんども蝦夷に攻
めこんでもなかなか勝てない。仕方がないので坂上氏な
どの重装騎兵集団を送りこんだが、重装備の騎兵は動き
が鈍く、山間部に引き込まれて蝦夷の軽装騎兵に包囲さ
れて、全滅に近い被害を何度も蒙っている。これは平安
時代の話ですが、二百年まえの蘇我さんの時代も基本的
に同じだと思います。
蛇足ですが、武士の刀は蝦夷の湾曲した刀(蕨手の太
刀と言います)の技術を学んで改良したもの。また武士
の大鎧は、蝦夷の皮製の鎧の作り方に学んで、皮を短冊
型に切って皮紐で綴じていたのを、鉄の板を短冊状にし
てそれを皮で覆ったものを皮の紐で綴じたもの。日本は
蝦夷から技術を学んだのです。
だから「蝦夷」とは野蛮人ではなく、大和の人々に
とっては高い文化をもち、北はアリューシャン列島から
南は琉球・中国まで貿易に航海し、豊かな金と高い工業
技術ををもち、馬を駆使した強い軍隊をもった異国の人
だったのです。いつの時代も強い外国にはあこがれま
す。そして勝てないからこそ「野蛮人」と呼んで人を落
としこめます。
強い人・不思議な力をもった人という蝦夷にあやかっ
た名前が「蘇我蝦夷」だったのではないでしょうか。
第三の「入鹿」
イルカは漢字で書くと「海豚」ですね。中国ではこう
書いてきた。では日本では?。イルカというのは、日本
での呼び名では?。
イルカの仲間にシャチがいます。アイヌの人々はシャ
チのことを「沖の神」と呼んで、けっして銛を打ち込ん
ではならないとしたそうです。大きな魚や鯨を岸に追い
込んでくれて人々に幸を運んでくれるからだそうです。
シャチホコ(鯱鉾)ってありますね。もともとは中国の習
慣だったけど、日本にも奈良時代には入ってきて「火事
よけのまじない」「魔よけ」として建物のてっぺんに乗
せました。中国でもシャチは神聖視されていたのです
ね。
ではイルカはどうなのでしょう。
イルカの群れを発見すれば、その近くにはカツオやマ
グロそして鯨の大群がいるそうです。イルカそしてシャ
チは漁をする人にとって幸せをもたらすものであり、こ
ういう意味ではイルカも神だったのではないでしょう
か。
イルカを海豚と漢字で書くのは中国人で日本では「入
鹿」なのであれば、蘇我入鹿の名は、神聖な動物にあや
かってつけたのではないでしょうか。
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