例えるならば、以前友人から借りたことのある、
志茂田カゲキ氏の作品のようでもあり(彼より面白いです。)、
これまた別の友人が主宰する演劇の脚本のようでもあります。
(現代風歴史活劇3部作と言い放っていますが、、、)
聖徳太子の時期にようやく官僚体制(憲法)と、
中央集権制度(冠位)にも、きっかけとなったのですが、
それ以前は、豪族集団の代表名義人が天皇家というイメージです。
(ですから象徴天皇制はかなり古代に始まっています。)
蘇我氏は議長格という感じでしょうか。
現代のアフガニスタン暫定政府の雰囲気が近そうです。
(アメリカが戦後日本政策のコピーをするためか、
象徴的に昔の王を呼ぼうとしましたね。
もっとも、その王がアフガン内戦の原因ですが。)
例えば、少数与党の場合、連立政権となるのですが。
連立再編成が大化の改新だと思います。
聖徳太子はその前のきっかけ作りをしたという感じです。
(小泉さんの立場で、より立派な人。)
今回、おっしゃっていたように『政権交代』はしっくりしますね。
藤原氏はちょうど旧自由党、鎌足さんは小沢一郎という感じですね。
民主党と合流し政権奪取、平安の世に連続首相。
(そう考えると中臣氏は元蘇我系議員?)
そういったわけで、すぐには首相にも大臣にもなれなかったのでは。
という考えです。
聖徳太子の憲法が役人に向けたものであるように。
政権公約もこの当時は豪族や役人向けであるといえそうです。
豪族(族議員)の既得権を民間にという構造改革では?
彼らにはその代わりにポスト(大臣や委員長、助役や出納係)を与え、
組織に編入し、中央集権を確立していくというものでしょう。
多分、大小問わず政権が変わるたびに政治が変わるという、
ひいきや落ち着かないものがあって、きちんと決めようとなったのでは?
その雰囲気での政権公約が公地公民や律令だったのでは?
律令は、学校時代のノートのように隣りから借りることができましたし。
ただ優秀な人のノートではなかったので、
必要なものだけそのまま使い、おかしなものは修正・加筆という作業で。
公地公民もそういうわけで、
はじめは不可侵条約という感じだったように思います。
その後集権化が進む中で、どの人からも相応に税をという考えから、
3%消費税導入(文字通り公地公民)となったのでは?
官僚体制のある程度固まった後に成立すれば誰も暴れません。
、、、科学で分かったことは確認できたことだけ。
歴史も同様で、残っているものや発見されたものからの推測です。
子供の頃、縄文と弥生の土器でのこと。
前者の方がはるかに好きで、すごいと思っていたのですが、
学校では弥生式を先進的だといっていました。
最近の発見で古代が見直されていますが、
発見があるまでは、学者のセンスの無さから、当時から今に至るまで
おかしな常識化した歴史観になっているかもしれません。
教師もセンスかやる気のどちらかが足りないのでしょうね。
そのまま伝えているのですから。
文部省改革の一番の抵抗勢力が日教組という自己矛盾にも気が付かない。
私の友人も教師ですが、
まわりは、現実感のない主張や奇行者ばかりだと嘆いています。
ですからこういったメルマガが重要なのですね。
これからも楽しく読ませていただきます。
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いけくん