いつも楽しく、メルマガを拝見しております。
ところで、 日本最初の貨幣の問題ですが、和同開珎
がそうだという定説に対して、そうではないという反論
があります。
江戸時代に和同開珎より古い貨幣として二つ知られて
いました。一つは富本銭。もう一つは飛鳥奈良時代の寺
院の礎石などから発見される無紋銀銭。
富本銭については近年、明日香から鋳造所が発見さ
れ、天武天皇が発行した銅銭かとさわがれています。
私が知っている説は、日本最古の貨幣は、この無紋銀
銭。これは広く流通していた。これにとって代わろうと
作られた最初の貨幣である富本銭は失敗して消え、2度
目に挑戦したのが和同開珎だという説。2001年2月に小
学館から発行された、今村啓爾著の「富本銭と謎の銀
銭ー貨幣誕生の真相」で、詳しく展開されています。
この説によると和同開珎発行をめぐるごたごたは、す
べて当時の銀と銅の交換比率を無視して作られた悪貨で
ある和同開珎を無理やり流通させようとしたことに原因
があると。
奈良時代初期の物価や金属の交換比率を見ると、銀銭
1枚が純銀4分の1両でないと成り立たないそうです。
これにぴったり当てはまるのが、飛鳥奈良時代の寺院の
礎石などから出てくる無紋銀銭。
そして最初の和同開珎は銀銭として発行されたが、こ
の純銀の重さは、無紋銀銭の3分の2しかない。なのに
二つの銀銭を等価として流通させようとしたのがことの
発端。しかも無紋銀銭1枚に対して銅銭なら100枚が
通常の交換比率なのに、無紋銀銭の3分の2の価値しか
ない和同開珎銀銭1枚を新しい和同開珎銅銭10枚と交
換させようとしたから事態はややこしくなる。なんと実
際の銅銭の価値の10倍の価値で流通させようとしたとい
うこと。
あまりの悪徳「商法」ゆえに人々は和同開珎の銀銭も
銅銭も使おうとはしなかった。だから役人の報酬を和同
開珎で支払ったり、和同開珎を一定量収めたら官職を売
るという政策をとったのだという。それでも流通しない
ので、銀銭1枚を銅銭25枚に改定したが、それでもだ
め。その末のごたごただと著者は説明しています。
ただこの本で論証されていないのは、この無紋銀銭の
発行者です。
私はこう考えます。この銀銭の発行者は、筑紫の太宰
府に都をおいていた倭国王である九州天皇家だと。この
天皇家の権力を、白村江の唐軍による敗戦と後の壬申の
乱の戦を通じて簒奪した、天武天皇に始まる王朝が、自
分こそが日本列島の正統な王だということを宣言するた
めに出した貨幣の最初が、富本銭だったと。そして再度
の挑戦で散々苦労したあげくに、無紋銀銭を駆逐するこ
とに成功したのが和同開珎だったと。しかも奈良時代に
なってもまだ日本列島には、九州天皇家こそ正統な王だ
とする人々がかなりたくさんおり、その抵抗も強く、し
かも和同開珎が悪貨だったので、なかなか流通しなかっ
たのだと考えます。
こう考えると貨幣発行にまつわるごたごたもすっきり
解決しますし、元明天皇の時代に大和天皇家こそ昔から
日本列島の王者だったのだということを主張する歴史書
である日本書紀の編纂が開始されたと思われることの意
味がすっきりします。
注【書紀の完成は次の元正天皇の720年ですが、編纂
開始はいつかよくわかりません。ですが、元明の即位の
宣命の中心理念が「天智に始まる不改常典の継承」で
あったことを考え、(古田武彦氏の説に従えば)
天智と天武が兄弟ではなく、九州王朝滅亡後の日本の支
配を巡って、一旦は主導権を握った天智系の大和天皇家
を壬申の乱で打ち破って日本の支配者になった天武系
(九州は大分の九州王朝の分家)が直系の相次ぐ死去
((草壁ー文武)によりその正統性が揺らぎ、だからこ
その「天智に始まる不改常典の継承」と言わねばなら
なかった状況を考えると、天智ー天武政権の正統性を宣
言した歴史書の選定作業は、元明時代以外にありえない
と思います】
つまり元明天皇こそ、大和天皇家の中で、最初の名実
ともなった天皇=日本の王であったということです。
そうすると、この人を教科書に載せないのはますます
おかしなことになりますね。
*************************************
川瀬健一[kenichi kawase]
URL http://www4.plala.or.jp/kawa-k/
***********************************
目次へ