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「花のぽとり」に寄せて     
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僕はいろんな不安を抱えて生きてます。

ある時、ふと考えたことがあります。

生まれて最初に感じた不安って何だろう。

もちろん、はっきりと覚えているわけでも、意識できているわけで
もありません。

でも、1つだけ心当たりがあるんです。

ものごころついた頃、おそらく幼稚園児だった僕が覚えた最初の不
安。

それは、親の死でした。

親が病弱だったのではありません。
祖父母も健在で、僕の周囲に死を感じさせるものなど何もありませ
んでした。

だから、なぜ、そんな気持ちになったのかはわかりません。

けれど、ある夜、ふと目を覚ました僕は思いました。

「お父ちゃんも、お母ちゃんも、いつか死んじゃうのかなあ・・・。」

「僕はひとりぼっちになっちゃうのかなあ。」

「不安」などという言葉を知らなかった僕にとって、それはレース
のカーテンのむこうを初めて意識したような感覚でした。

僕は隣の布団に眠る母の手を握りました。
母を起こそうとしたのかもしれません。

目を覚ました母が聞きました。

「どうした?怖い夢でも見たかい?」

「うんにゃ。」

「おしっこかい?」

「うんにゃ・・。
 お母ちゃん・・。
 お母ちゃんは、いつか死ぬのん?」

「あはは。お母ちゃんは死なんよ。」

「ずっと死なんの?」

「うん。ずっとや。そんなことを心配したのかい?」

「うん。」

「心配いらないよ。お母ちゃんはずっと死なんよ。」
 

その時の何とも言えぬ安堵感・・。
今も忘れていません。

時が経ち、僕は不惑を越える年齢に達しました。
すでに母は亡き人となり、今度は、僕自身が老いを自覚し、自身の
死を視野に入れるに充分な歳月が過ぎたのです。

「老い」が何であるか・・?
「死」が何をもたらすのか・・?

現在の僕は、身の回りある自然の生命に、その答えを見つけようと
思ってもいます。
そして、それは、あの時に感じた微妙さ・・。
レースのカーテンの向こうをのぞく感覚の続きでもあるのです。

もしかすると、それは子ども達にも続くものなのかもしれない。
ならば、僕なりの1つの考えを子ども達に伝えたい。

あの時、母が語った言葉。
「お母ちゃんは、ずっと死なんよ。」
それが、母なりの答えであったように、今度は僕なりの想いを伝え
たい。

そんな想いで「花のぽとり」を作りました。

上の娘が10才になった頃、こう言ってくれました。
「お父ちゃん。私、『花のぽとり』、なぜだか好きなんよ。」

レースのカーテンは、いつも僕の前にあります。

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皆さん、お読みいただき、ありがとうございました。

次回は、おはなし「欲張りな犬と神さま」を発信します。
よろしければ、おつき合い下さい。

ではでは。



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