「欲張りな犬と神さま」を読んでいただき、ありがとうございまし
た。
もちろん、みなさんよくご存じの「イソップ物語」の「欲張りな犬」
を下敷きにして作ったおはなしです。
僕は、このおはなしに、僕自身を書きたかったのです。
おはなしに出てくる大人達は、ある犬を見つけます。
それは川をのぞき込み、ワンと吠え、肉を落としてしまう犬でした。
そして、非難します。
「あいつは、欲張りだ。」
「あいつは、まぬけだ。」と・・。
教訓まで作り、子ども達に教えます。
「欲張りのまぬけは、最後には損をするのよ。」
とまあ、こんな具合です。
実は・・・。
この大人達、それが僕なんです。
どうにも意地悪で、すぐに他人の陰口を言いたがる、そんな
「僕自身」を書いたのです。
欲張りで、川という鏡に気づかなかった犬。
でも・・。
もしかすると、鏡に気づかなかったのは僕なのかも知れません。
自分の中にたしかに存在する「欲張り」な部分を見たくない。
少なくとも正視はしたくない。
それは、意識するしないに限らず、常に僕を形作る1つの真理なの
です。
だからこそ・・・。
知らず知らずに、それを犬という他者の行為の中に投影して見てし
まう。
他者を見るということは、鏡を見るということに等しいのかも知れ
ません。
そして、僕はその鏡に気づかない。
そういう脳天気さの上に、非難があるのです。
ある行為の本当の意味は誰にもわからない。
このお話で言えば、犬は「欲張り」なのかもしれないし、
「老ガメに対する神さま」なのかもしれない。
もちろん、そのどちらでもないのかもしれない。
すべては、鏡に気づかない幻想とも思えるのです。
僕自身に対するそんな微かな疑いを、子ども達に伝えたかったので
す。
皆さん、お読みいただき、ありがとうございました。
次回は、おはなし「かんちゃんのクリスマス」を発信します。
どうぞ、おつき合い下さい。
ではでは。