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ふでばこのなかで 想い編
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子どもの頃。
お気に入りの鉛筆がありました。
3つ年上のいとこからもらった鉛筆です。
もらったから好き、というわけではなく・・。
その1本だけが模様が違ってたんですね。
他のは緑色っぽい服を着ているのに、それだけは赤茶色。
だから、目立つんです。
筆箱の中でも一番先に目に飛び込んでくる。
つい手が伸びて、
何を書くにも、そればっかり使っちゃう。
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いつのまにか、その鉛筆だけ短くなってるんです。
使い込むんだから、当たり前のことです。
頭ではわかっているんです。
『短くなったのは好きだった証拠だもんな。』
でも・・。
でも、どこか釈然としない。
いや、子どもですから『釈然』なんて意識はありません。
もっと具体的です。
『あああ、この鉛筆、使わなきゃよかった。
損したなあ・・。』
けれど、何となくだけど満足感もあり、そう、もやもやしてる。
切なさとはほど遠い、やるせなさ。
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好きになるという心の動きが持つ、きつい言葉で言うならば原罪。
例えば、人を愛するということ。
それは、自虐、あるいは他虐を、前提または結果として持たざ
るを得ないことだと思います。
相手のために自らの身を引く、心を隠す。
そういう自虐性。
相手からの愛をも望み、感情さえをも独占したくなる欲求。
そういう他虐性。
自虐と他虐のバランスの中に、いや、もちろん、どちらかへの
偏りを肯定した上での不安定感の中にだけ、愛するという感情が存
在できる・・・。
少なくとも、僕にはその気配があります。
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その原罪性に苦しむということ、そこに、もしかすると、生きる意
味を解くカギがあるのではないでしょうか。
「好き」という子ども心に、ふと顔を出す、やるせなさ。
それは、そのカギが小さな扉を開けた瞬間に発した、安堵を伴う
『ためいき』なのかもしれません。
そして、そのためいきに、僕は拍手を送りたい。
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そんな想いで、僕はこのお話を創りました。
ありがとうございました。
次回も、おつき合い頂けたら 幸せです。
ではでは。