「カンニング」

1999/12/4、長崎市の高校2年生がカンニングを注意されたことを苦に自殺しました。

 僕の娘は小学生です。
公立の小学校に通っています。
娘は入学前に就学時検診というのを受けさせられました。
入学予定の学校で行われる物です。
きっと、どこの小学校でも行っています。
公立ですから合否を決めるものではもちろんありません。

 その中に知能テストがあったんです。
娘は幼稚園にも行っていませんし、塾も経験がないですから初テストなんです。
もたもたして、とまどっていました。
でも、何だか楽しそうなんですよ。
わくわくしてる様子が見ていて伝わってきました。

 楽しいけれど、わからない問題がたくさんなんですよね。
そして、「わかんないなぁ。」って、つぶやいたんです。
そしたら、前の席の男の子が振り向いて言ったんです。
「どこどこ、俺、教えちゃるよ。」
結局、先生が優しく注意して教えてもらえませんでした。

 娘は知能テストが楽しかったらしいです。
「また、したいなぁ」って言ってました。
「あの男の子やさしいなあ、今度は私が教えちゃろ。」と言いました。

 僕はテストの本質を見た思いがしたんです。
なぞなぞみたいな感じで好きなんですね。
そして、わからないところがあったら教え合う。
娘は、これがいいなあって言ったんです。
でも、大人はそれを「カンニング」と呼んでいます。

 自分の子どもや教え子にどんな人間になってもらいたいですか?
テスト中に隣の席の子が頭を抱えている様子を、「しめしめ」とほくそ笑む人間になってほしいですか?
級友が1点下がることを待っている、自分が1点でも上になりたいと思う子になってほしいですか?

 僕はなってほしくないです。
だから、テストに点は不必要と思ってます。
けれど、点数付きのテストが現存し、娘がテストを受けていることも事実です。
しかし、僕は娘が持って帰ったテストの点数にコメントをはさむことは絶対にありません。
「先生はがんばって点数までつけてくれているけれど、お父ちゃんには何の感想もないなぁ。」
そう言っています。

 わからなくて困っている人に教えてあげる、覚えきれないことはメモにしておく。
これは学習の姿勢として絶対に正しいです。
しかし、競争を前提とした点数付きテストの場面では「カンニング」になってしまう。
その競争は級友さえも敵としてしまう。

 点数つきテスト、もういいではありませんか。
本来の楽しいテストを取り戻しましょうよ。
長崎の悲しい自殺を、対岸の火事にしてはいけません。
僕たち保護者の想いと先生方の決意が、教育界を変えます。
まずは年に何回かでもいいです、点数なしのテストを待ってます。

(了)



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