がんばれ校長先生」-2000/2/22

1999年、日本は大不況の中にいました。
大手とよばれる会社もリストラや倒産などの大波にのまれました。
たくさんの報道がなされ、その危機を訴えていました。

その中で「これは、ひどいんじゃないかな。」と僕が思った事例が1つあったのです。
それは、日本を代表するような大きな自動車会社でのことでした。
売り上げが悪く、このままでは倒産してしまうという状況だったそうです。
それで、従業員解雇・削減という大リストラを行わねばならなくなったらしいのです。
他の産業の会社も同じようなリストラを行っていましたから、そう珍しいことではありませんでした。
しかし、1つだけ違っていました。
その解雇・削減を提案し、発表したのが、なんと外国の会社の人だったのです。

おそらく、日本の会社と外国の会社が提携し、新たな展開をしていくためのリストラだったのでしょう。
だから、別に外国の会社の人が発表しようとおかしくはないのだろうとも思います。

けれども、もし僕が解雇される人間だったら、、。
やはり、今まで仕えてきた我が社の社長に決断して発表してほしかったと思うんです。
大きな会社だから、もしかすると1度も話す機会がなかったかもしれない社長。
せめて、その社長に発表してほしい、という気持ちが湧いてくるのではないでしょうか。

僕は経験がないからわかりません。
しかし、ほとんどの従業員が、その外国の会社の人との間に信頼関係がなかったと想像しています。
会社がピンチの時こそ、我が社の社長とともに乗り越えたいと思うのではないでしょうか。
「がんばれ、社長!!、がんばろう、みんな!!」
僕には、そういう声が聞こえてきそうなのです。

文部省の方針で校長に民間人を採用することができるようになりました。
現在、日本の教育界は確かに揺れています。
本当に大ピンチなのかもしれません。
こんな時こそ、今までともにやってきた教員が校長になってがんばるべきではないでしょうか。
今こそ先生達に「自分たちにまかせろ。」と言ってほしいのです。
そして、おそらく現場の教職員も「今を乗り越えよう。」と思っているはずです。

考えてみて下さい。
子どもとともに教室で生きてきた経験のない人間に校長ができるのでしょうか?
そして一般教員から信頼や尊敬を得ることができるでしょうか。
僕は不可能ではないが、大変難しいことだと思うのです。
それほどに「教室での体験」というものは学校運営において貴重だと思っています。
文部省はこの体験を甘く見すぎていると思います。
もちろん民間人の意見や考えをとり入れることが重要な場合もあります。
しかし、そのことと民間人を校長に採用するということは全く別次元だと思います。

残念ながら現行のシステムは校長を生かし切れていません。
文部省は校長が教員の大先輩としての力を発揮できるようにシステムを考えるべきです。
それは、「中央集権的な教育」から離れ、「学校自治の教育」を作り出すことだと思うんです。

先日、校長に権限を与える方針も発表されました。
しかし、それは部下の一般教職員に対する、いわば「コップの中での権限」でした。
そうではなく、文部省や教育委員会のいいなりシステムから校長を脱却させる権限が急務なのです。
いまこそ、大校長の出現が必要な時はないと思うんです。
コップの中の嵐ではなく、大海を覆う嵐に目を向ける力を校長に与えるべきです。
その上で民間の意見を吸収し尊重するシステムを作ることが必要だと思います。

「がんばれ、校長先生!!」
僕は応援します。



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