兵庫県加古郡に播磨町という町があります。
その町では少子化対策の予算の一部を児童書の購入にあてることにしました。
そして町内4カ所のコミュニティーセンターに置くのだそうです。
少子化対策の予算は経済的な補助、便宜って使われ方が多いです。
たとえば、保育園の送迎バスの補助なんて形もとられます。
さて、少子化についてです。
僕の周りでも少子化は進んでいると実感させられます。
一人っ子は決して珍しいことではなくなっています。
けれど、僕の知ってる範囲の親たちは経済的な理由からたくさんの子どもを産まないわけではないです。
もちろん自分自身の生き方や信念を持って子どもを産まない家庭もあります。
僕の友人にもそんな生き方をしている人間がいます。
だから、「少子化=マイナス」と捉えるのは問題がありますよね。
しかし、僕の周りには「子育てはめんどくさい。」派がけっこう多いんです。
以前のように子どもは「家庭の労働力」って概念は希薄になりました。
将来、親の面倒を見てくれるって保証も慣習もなくなりました。
育てていく過程でも「いじめなどの学校問題」「受験戦争」「家庭内暴力」「非行」など前途多難。
めんどくさいことが続出しそうです。
金銭で解決できることでは決してないのです。
子育てに「金」がないのではなくて「夢」がないと感じている人が多いのです。
ここが理解できないと行政は失政を招くと思います。
そこで、播磨町の児童書です。
以下は播磨町の公式見解ではありません。僕の勝手な推測です。
間違っても播磨町に抗議するようなことのないようにお願いします。
児童書の購入により地域のコミュニティーセンターに子どもが集まってくるようになると思うんです。
そして、保護者もついてくる。
最初は挨拶程度のつながりでしょう。
けれどだんだん顔見知りになってきます。
保護者同士の接触が生まれ、悩みなどの話も出るかも知れません。
「読み聞かせ」をする保護者が出てくるかも知れません。
そんな保護者のサークルができるかも知れません。
地域を越えたつながりもできるかも知れません。
子ども達の未来に関する話も出るかも知れません。
都合のいい「かもしれない」のオンパレードだ、そういう批判があるでしょう。
けれど、都合のいい「かもしれない」の集大成こそ「夢」だと僕は思うんです。
播磨町の児童書から「夢」が生まれるかも知れません。
これが行政だと思うんです。
あなたの町の少子化対策予算はどんな使われ方をしていますか?
そして、それは「夢」を生みますか?