2000年7月16日、僕は赤い月を見ました。
こんな月を見るのは生まれて初めてのことでした。
いつも見慣れた白く輝く月。
同じ月とは思えないほど、その赤さは暗く、重く感じられました。
地球と月とそして太陽の位置関係によって起きる「皆既月食」、、、。
それは必然であるにもかかわらず、人生の中で、その時に出会えるかどうかは、
大いなる偶然の産物です。
僕は、その偶然の恩恵にあずかり、「赤い月」を見たのです。
もし、自然界に「公転」という神秘がなければ、、、。
僕らはひょっとすると、常に赤い月のみを見上げていたのかもしれません。
また、考えれば、ほんの少しの神秘的なずれが「三日月」を見せ、「半月」
「満月」を味あわせてくれているんですよね。
1つの月。
その月も見方一つで、形を変え、光の色さえ変わってくるのです。
僕らは月と同じく自然の神秘的な産物として存在しているはずです。
そんなことは充分にわかっているつもりなのに、、。
僕は、いつも、同じ満月を望んでしまうのです。
白く、明るい、満月をみたいと思ってしまうのです。
我が子の中に、いつもその満月を望んでしまうのです。
暗く、しょんぼりした、傷ついた姿を見たくないと思ってしまうのです。
もしかすると、それは、子どもに伝わっているのかもしれません。
そうだとすれば、子どもは自らの「公転」を抑えてしまうかもしれません。
少なくとも、父親である僕の前での公転を止めてしまうかもしれないのです。
子どもの中にも、きっとある「赤い月」、、。
それは僕と子どもの位置関係を少し変えることで見えるものだと思います。
「赤い月」さえも味わえる感性を持ちたいなあ。
そんなことを考えた7月16日でした。
一緒に月をみた上の娘は、翌日寝坊し、学校に遅刻していきました。
彼女は「赤い月」から何を感じたんでしょうか。
(了)
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