この場合の「バリア」は「障壁や障害」を意味するのだそうです。
「バリア・フリー」ですから、「障壁がない」というような意味ですよね。
建築物などで、よく使われるようです。
広辞苑(第4版)によると、こう書いてあります。
「身体障害者が社会生活を営む上で支障がないように施設を設計すること、また
そのように設計されたもの。」
たとえば、建物の中に敷居などの段差がないのです。
たとえば、廊下に手すりがついているのです。
そうすることによって、足の動きが悪くなったお年寄りや車椅子にのった人たちも、
より安全に生活できるわけですね。
すばらしい発想だと思います。
こういう発想は、僕たちが子ども達に伝えていかねばならないものだと思います。
しかしです。
しかし、一方でこんなことがありました。
僕の父(76才)が新聞の折り込み広告を見ていた時のことです。
父は新聞や広告を見るのが趣味のようなものなんですね。
あまり、自分に関係のなさそうな広告でも毎日、一生懸命に見ています。
その父が、ある住宅建築会社の広告を見ながら僕に聞きました。
「おい、バリア・フリーって何のことだ?」
「ああ、たしか、家の敷居とかの段差がないことだよ。」
「ほう、それだと、何がいいんだ?」
「いや、たとえば、お年寄りとかが歩く時につまづかなくて、安全やん。」
「ふーん、老人にやさしいってことか・・。」
「そうだよ、老人にやさしいってことだよね。」
「じゃあ、なぜ、老人にわからん言葉を使うんだ?」
「えっ・・。」
「老人にこの言葉を覚えろってことだろ。」
「・・。」
「いいか、他人に優しくする時は『とことん』優しくしなきゃだめだぞ。」
「・・。」
そう言って父は次の広告に目をやりました。
これは、僕の父だけの感想かもしれません。
しかし、僕は言葉がありませんでした。
「バリア・フリー」。
たしかにすばらしい発想です。
しかし、その言葉を使うこと、それ自体に問題点はないでしょうか。
皮肉なことに・・そして残念なことに・・。
「バリア・フリー」という言葉の中に「バリア(障壁)」は確かに存在しているのです。
(了)