「ね、あんた自動車が好きなんでしょ。」
そのお母さんは、息子さんにそう語りかけました。
ある小さな喫茶店でのことです。
僕はその親子のすぐ隣のテーブルに座っていました。
「うん。」と高校生くらいの息子さん。(会話の内容から3年生だと思います。)
「だったら、やっぱり大学行って資格取るのが一番よ。
機械科とかがぴったりよ。
今に電気自動車が増えてくるはずだし、電気科もいいかもよ。
整備士とかになれるんじゃないの。」
「けど、俺、あんまし勉強とか好かんし、、。」
「推薦とかもあるんじゃない?
先生に聞いてごらんよ。
大学さえ出ておけば、絶対なんとかなるよ。
仮に、別の仕事に就くにしても、絶対有利よ。」
ふと耳にした親子の会話でした。
その会話から、僕は自分の人生について思いました。
僕の人生はどんな歩みだったのか、考えてみたのです。
僕は「どのように生きたいか」を考えて生きてこなかったと思うんです。
いつも「どのようになら生きられるか」・・そればかり考えてきました。
そして、そんな歩みをしてきた気がするのです。
喫茶店で出会った親子の会話。
お母さんは一生懸命に「どのようになら生きられるか」を教えています。
それは、保護者の感覚として非常によくわかります。
また、学校の先生方が行う「進路指導」。
これも「どのようになら」を教師としての経験からアドバイスしてくれている
のでしょう。
おそらく、そこには「愛情」や「責任感」が充満していることだと思います。
しかし、きっと「夢」がないと思うんです。
「どのようになら」という現実の重さを知りながらも、
「どのように」という夢を子どもと一緒に語ること。
難しいかもしれません。
けれど・・。
これからの僕は親として、「そのように生きたい」のです。
(了)
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■関連コラム項目「親子の会話」
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