寒くなってきました。
この季節になると多くの学校でマラソン大会が行われますよね。
そして、その大会を目標に日頃から練習をつむ子ども達。
冬の風物詩と言ってもいいくらいよくある光景です。
僕が6年生の担任であった頃のことです。
その年は学校付近の道路工事のため、なかなかマラソン大会の日程が決まらなかったのです。
とりあえず、体育の時間に練習だけは開始することにしたんです。
すると授業中に子ども達の中からこんな声があがってきたんです。
「先生、マラソン大会がいつあるのかわからないなら、練習に身が入らんなぁ。」
「もし、工事でマラソン大会がなかったら練習するだけ損やもんなぁ。」
僕は「それもそうだな。」と思いました。
マラソン大会という大きなイベント(目標)があやふやでは「練習に対するやる気」が出ないと思いました。
僕たち大人もそういう傾向にありますよね(僕だけかもしれませんが、、)。
それで、そのことについて思いを書かせたのです。
子ども達に「もし、マラソン大会がなかったらどうする?」って投げかけたのです。
結果は次のようなものでした。
「練習に対するやる気がなくなる。」というのは2割の子どもだけだったのです。
8割の子が「大会と関係なく自分の体力が向上するから練習したい。」という趣旨のことを書いていたのです。
これは選択肢の中から回答を得たのではありません。形式自由での回答です。
ですから、かなり本音に近い回答だと思うのです。
僕はついつい「授業中の一部の声が子ども達の大多数の考えだ」と思ってしまっていたのです。
そして、それが僕という大人の価値観と一致していたため、ほとんど確信に近かったのです。
けれど、それは大きな間違いでした。
また「子ども達に大きなイベントや目標を与えなければ、活動の意欲がわかない」と思っていたのです。
それは独りよがりの思いこみで強迫観念といってもいいものでした。勘違いをしていたのです。
子どもは子どもなりに個々の活動に意義を見いだす力を持ちえるのです。
結局、大会日程あやふやなままで始まった練習は2割の子も8割の子も一生懸命取り組んでいました。
「マラソン大会」「縄跳び大会」「ピカピカコンクール」「弁論大会」「書き方大会」
「合唱コンクール」「スケッチ大会」「デザイン大会」などなど。
学校現場はイベント花盛りです。
どの行事にも教員にとって大きな労力を必要とします。
企画から実行、反省までたくさんの時間をつかいます。
そしてすべての行事が「子どものために」という発想や情熱で生まれたことも確かです。
でも、ひょっとするとそれは先生の情熱ゆえの勘違いの産物かもしれないです。
その労力を、時間を、情熱を、ごく普通の日常の子ども達に回せたら、、、。
そんなところから「ゆとり」が生まれるのかもしれません。